Undoボタンについて考え、これまでの人生を振り返ってみた

 「I wish I had an "Undo button" in my life.」

 

エレベーターの中で階数を間違えて押した時、上司のJamesがこんなことを言うもんだから、「今までの人生の中で取り消したいものはなんだろう?」と考えた。

真っ先に思いついたのは、大学入試センター試験のこと。

いつも5分残る英語のテストで、初めてラスト10分の時間を持て余した私は、余裕を持って見直しにとりかかった。

その10分間で、大問2つを修正した(12点分)ことが、私の受験失敗を招くとも知らず・・・

 

このUndoボタンの話は、最終的に「今の人生が好きだし満足しているから、何もUndoしたくないね」という結論で終わった。

その足で向かったイベントのテーマが、『留学とその後のキャリア・起業』というものだったので、今度は自分の留学から今までの人生を振り返ってみた。

 

そもそも留学に行こうと思ったのは、間違いなくこの受験失敗が起因している。

地元の公立大学に入って、イケメンイケ女の先輩と最高な同期との体育会部活動に明け暮れる毎日は確かに楽しかったが、最初の1, 2年はずっとどこかもやもやした気持ちを抱いていて、新しい世界に飛び込みたい気持ちを抑えられなかったのはもちろん、なんと両親(とりわけ子供の進路や行動に厳しい父親)が、都内の大学に通えなかった代わりにと、留学を後押ししてくれたからである。

 

そんなこんなで留学中は新しいコミュニティやボランティア、ミートアップに、羽が生えたウサギのように飛び回ったわけだけど、その頃はたかがアメリカという一国の隅っこでの生活に慣れるだけで、世界を知った気になっていたように思う。

それに気づいて、途中ひとりアメリカ横断を決行したり(「当時の彼氏や友達に会いたいから夏休みに一時帰国したい」と言った私に、「そんな金と時間があるならアメリカ一周でもしてこい!」と言ってくれた、思えばこれもまた父親の一声で突き動かされたのであった)、企業インターンと学校での教師アシスタントボランティアを並行するも、留学が終わる頃には、いったい日本に帰って自分が何をしたいのか、はたまた何ができるのか分からない、心から共感できない会社に媚びを売るような就職活動はしたくないし、そもそも刺激的で考える材料と機会をたくさん与えてくれる異国にまだいたい、という一種の”帰国ブルー”に陥っていた。

 

幸運なことに、帰国して1ヶ月後に参加したSlush Asiaというイベントのおかげで、私のワクワク度は維持されることになる。初めて会う起業家・投資家に「かっこいい」という思いを抱くと同時に「この人たちも同じ人間なんだ。大事なのは生まれ持った才能じゃなくて、挑戦することなんだ。それなら私にも何かできるかもしれない。」という謎の自信を得たり、留学先で出会った学生とはまた少し違う質の学生の優秀さに刺激され、再度やる気が跳ね上がった。

 

その前後に、「留学していたから何か役立てるかも」という理由で応募した、太田英基さんの会社・スクールウィズでのインターン。(日付が変わる頃に太田さんのインターン募集投稿をFBで見て、「興味あります!」という自己アピール込みの長文メッセージを送りつけ、その日のうちに群馬から東京までやってきて面接をしてもらいその場で採用が決まるという、なんともスピーディーな流れだった)

初めての日本企業(しかも当時社員10人未満のどベンチャー)でのインターンは、社長の太田さんの優しく、他者を気遣い、かつ人を魅了する人柄が会社の文化によく表れていて、とても心地よい環境で”会社”・”働く”ということを学ばせてもらった。

この中で、とても優秀なエンジニアさんや経理、CS、人事のプロ(それぞれ人格も素晴らしく、勝手に頼れる兄・姉・母と感じていた)と短いながらも同じ時間を過ごせたことは、その後の私の「上手くいく組織経営」みたいなところ、価値観に大きな影響を与えている。

 

スクールウィズでのインターン中、地元群馬の母校で教育実習をしたり、Slush Asiaでお世話になったALでのイベント企画運営インターンを並行したり、当時憧れていたウェディングのベンチャーに興味を持ったりと、1つのことに集中して成果と呼べるものを残せなかったのは少し後悔している。

 

そんな中、勝手に企画したSlush Asiaのボランティアパーティーで、翌年(2016年)開催に向けてフルタイムメンバーを募集するという話を聞き飛びついた。正直スタートアップのスの字も知らず、自分に何ができるのか自分でもよくわからない状態ではあったものの、2015年のSlush Asiaは、都内の学生ボランティアが多い中、地方大学から参加していたのは私を含めほんの少数で(チームリーダーは私以外ほぼ都内か関西の学生だけだった)、なぜこんなにも地域間に情報や機会の格差があるのかと少し悔しさもあり、迷わずアプリケーションを送った。

後にボスとなるAnttiに、引かれるくらいしつこく電話やメッセージを送り続け、「もうダメか・・・」と思った頃に、組織の人事的な立ち位置として、まずコアメンバーを集めること、数百人のボランティアを集めまとめること、を課せられた。

 

経験もない・知識もない中での探り探りの組織づくり・イベントづくりは想像を絶するほどボロボロで、何度も泣いて何度も怒って何度も落ち込み、そして一度だけ入院をした。(数ヶ月腰の異常と微熱を放置していたのが原因、腎臓は大事にした方が良いことを学ぶ。あと水をこまめに飲む)

イベント企画は全てにおいて締め切りがあるが、それを達成するために何を遂行・マネジメントしていくかが全くわからず、全て場当たり体当たりで行った(ちなみにこれをモノにするためには相当な経験が必要なようで、今でも持ち前の気合と根性、柔軟さで乗り切っている)。

アンプロフェッショナルな組織では、イベント20日前にオープニングの映像をつくっていないことが発覚したり、直前にあれがないこれがない、人が足りないお金が足りないという心配事ばかりで、8ヶ月間非常にストレスフルだったと同時に、未完成なものを未完全な人たちで補う感覚が非常にエキサイティングだった。

数百人を集めまとめるというミッションにおいては、経験も自信も無く最高に落ち込んでいた私に、Anttiが「虎穴に入らずんば虎児を得ず」という教えを説いてくれて(フィンランド人に教えられるまで、私はこのことわざの意味を正直理解していなかった)、不格好でも英語ができなくても緊張してても何でもいいから、とりあえずやってみよう!という思いでトライアンドエラーを繰り返した。

 

今思えば、この締め切りに追われ、システムやルール、オペレーションが何も決まっていない環境でがむしゃらに目の前のことに向かって挑戦していく感じは、起業したことがないもののスタートアップで働くことに近いんじゃないかと勝手に感じていて、本当にこれが起業する・スタートアップで働くことに通じているのであれば、案外嫌いじゃないと思う。

 

そして何よりも、何かに向かって必死で夢中になっている時には、必ず誰かが助けの手を差し伸べてくれるということを学んだのも、この経験を通してだった。Slush Aisaを通じてたくさんの偉大な方々にサポートしていただけたのは、私たちが誠意を持って、夢中になって、死ぬ気で(死ぬという言葉はやや大袈裟だが、失敗したらもう東京にはいられない、と本気で恐れていた)、何が何でもイベントを成功させてやるというクレイジーさと頑固さを持ち続けたからだと感じている。

 

とはいえ、やはり何かを続けることは、お金や人がまわり、組織が続く仕組みをきちんと整備しなければいけない(個人のお金も然り。お金の豊かさは、心の豊かさに本当に直結するということを先月学んだ。母に感謝)。ということで、Slushは続投せずに以前から興味のあったソーシャルビジネスを学びに、留学先でもあったアメリカはシアトルのプログラムに参加しようと決意した。

運営者にも会ったことがあるし、関係者に「まみなら絶対受かる!」と言われ、すっかりその気で渡米の準備を始めていた頃に、「we regret to inform you that we are unable to extend an offer to you to participate」の連絡が。落選したのだ。

 

正直、受験失敗と同じくらい落ち込んだし、2016年に入ってから半年で、入院、若干の鬱、留年を経験してきたので、ここにきてさらに悪いことが起きるとは思っていなかった。

ただ、高校3年生や大学入学時の私と唯一違ったのは、「あ、きっと今の私がすべきことはこれじゃないんだ。他のことの方が成長できるから、そっちを見つけてやりなさいってことなんだ。」と割とすぐに立ち直れたことだった。

 

すぐにスタートアップでのインターンを探そうとパソコンを開いた。場所は、シリコンバレー(先日渡米した際に行きたかった)かシンガポール(今なら兄が働いているし興味深い)、台湾(大好きだった祖父の第2の故郷だし国民性が好き)、フィンランド(Slushでの繋がりが多い)、そして日本に的を絞った。

それぞれに精通していそうな人にメッセージを送り、知り合いでインターンを探している人いない?日本に進出する会社とか!と頼ったところ、数社のリストができた。が、そこで困った。どの会社で働きたいか、どの会社が何をしているのか(事業内容を読んでも)、検討がつかない。興味のある分野はある程度絞って伝えたし、推薦者のコメント付き。だが、わからない。

そこでハッとした。確かに今の私は、できることは少ないながらも多少はある。でも、特定の分野に向かいたいという意思がはっきりしているわけではない。あったら、恐らく迷わず何かを始めているだろう。そして、働く先は、これまで会社のカルチャーや人との相性である程度選んできた。

 

どんな基準で選べば良いんだろう?

 

悩んだ末に、ある時、頭の中に1つのアイディアが生まれた。

 

「そういう会社をじっくり見られる仕事ってなんだろう。」

 

気づいた時には、500 Startups Japanのウェブサイトを初めて開き、英語のレジュメといくつかの提出物を揃え、アプライをしていた。どんな会社かわからない。でも、私が信頼する人たちがみんな口を揃えて、「500は良い。まみに挑戦してほしい。」と言うから、多分カルチャーフィットはするだろう。

得意の「一度会って!」戦法でなんとか漕ぎ着けたJamesとのインタビュー前に、ある程度過去の関連記事を読みあさり、その頃には「どうしても入りたい!」という意思が強くなっていた。

30分のインタビュー(というよりは雑談だったが、初めてJamesと話した時は彼のオーラに圧倒されガチガチだった)後、電話で正式にオファーをもらって、すぐに働かせてもらえることになった。

留学と、その後のインターンやSlush Asiaで働くことを通じて、初めて自分の強みを少し理解できるようになった。そして今、初めてそれを少しずつ活かしながら、さらに自分の知らないことを学べる・成長できる場にたどり着いた。

 

 

あのとき英語の大問のマークを変えていなければ、もう少し早く留学に行っていたら、周りの学生のように学生のうちに起業していれば(一応まだ学生の身だが)、、という ”たられば” は尽きないが、やっぱり私は今の人生が好きで、焦らずマイペースに、まだまだこれから自分の可能性を広げていきたいと思っている。だから、今までの人生でUndoボタンを押さなくてよかったと思うし、これからも、自分の心に従うままに生きていこうと思う。

 

 

※海外のインターン先を探していた時に、力になってくださった方には心から感謝しています。ありがとうございました。