母から学んだ、本当にやりたいことを選択する大切さ

「どうして、サッカーは男の子しかやっちゃダメなの?」

「女の子だってサッカーしていいのよ。やりたいなら、自分で『混ざりたい』って言いなさい」

 

狭い小学校の校庭で、お昼休みになるといつも真ん中のコートを陣取って楽しむ男友達。彼らを見ていて、「ずるい」という感情をどうしても抑えられなかった小学校低学年の私は、母にこんな質問をした。

この会話以降、私はお昼休みになると、女友達との一輪車やブランコ遊び、お喋りと並行して、よく男友達の中に女子一人混ざり、サッカーをして遊んだ。

 

中にはサッカー部の子もいたから、ボールをもらえなくて悔しい思いをしたし、強烈なシュートを顔面に受けて号泣したこともある。でも、もともと歳の近い兄2人と庭野球(プレイヤーは3人。ピッチャー、キャッチャー、バッターのみの遊び)をしたり、小学1年生の頃からスポ少(卓球部)に所属し、スパルタ監督による筋トレやランニングをこなしてきた経験から、男勝りで生粋の負けず嫌いだった私は、そんな中にいても馴染んでいた(と思う)し、何よりずっと「男の子のスポーツ」だと思っていたサッカーを体験することができて、とても嬉しかったのを覚えている。

 

 

母はいつもそうだった。

中学に上がり、オーストラリアへの2週間の海外派遣の面接に合格した時、十数万円の振込通知書を学校から受け取り不安になった私は「本当に行っていいの?こんなにお金掛かるよ」と母に尋ねた。彼女は「本当はもっと高いんだから、半分のお金で行けてラッキーだと思いなさい」と言って私の背中を押してくれた。

 

大学生の時、「どうしても留学に行きたい」という思いを抱えつつ、金銭面で悩んでいた私の心を決めさせたのは、地元の公立大学に通っていた私に、「東京の大学に通えなかったから、その分節約になったしね。1年間、群馬でも東京でも経験できないことに挑戦しておいで」の母の言葉だった。

 

海外経験は、新婚旅行でのフィジーのみ。にも関わらず、母(と父)は、自分の子供には海外に行け、一人で旅をしろ、やりたいことをやれ、ただ人に迷惑は掛けるな、掛けた時はきちんと謝れ、と基本的にはどんなことも積極的に応援してくれた。

 

 

なんだかんだ言って、人は自分を生み育ててくれた人の言動に強く影響を受けるものだと思う。

 

母には、子供の頃からやんちゃすぎて叱られたことも多い。それでも彼女は、幼少期の私の「女の子は女の子と遊ぶべき」「女の子はサッカーしちゃダメ」等の思い込みの思考を、全て取っ払ってくれた。と同時に、「心から本当にやりたいことがあるのなら、挑戦してみなさい」と、当たり前のようで、なかなか踏み切れない一歩を踏む勇気を私に与え続けてくれた。

 

 

1年半前、割と安定している中堅企業の内定を辞退した時も、母にとっては得体の知れないフィンランドの組織で働きながら体調を壊した時も、これまた横文字の説明ばかりのアメリカの会社で働くと言い出した時も、「万美がやりたいなら、いいんじゃない」と言い、「お母さんにはよく分からない分野だけど、身体だけは大事に頑張りなさい」と応援してくれた。

 

 

年齢を重ねるごとに、言い訳を考えることや「できない理由」を挙げることは簡単になってきたように感じる。でも、これからも人生の岐路に立った時には、心の素直な声に従い、母に言われた通り「やりたい」と思うことを選択し、挑戦していきたいと思う。

 

今後も、心配も迷惑もたくさん掛けるだろうなぁと思いながら、素直な気持ちや興味に従い、何でも挑戦して良いんだよと言い聞かせながら育ててくれて、精神的にも金銭的にも支え続けてきてくれた母(と父)に感謝。いつか、フィジー以外の国に連れて行ってあげられるようになりたいな。

 

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いつもありがとう。

 

母の日に、愛を込めて