母から学んだ、本当にやりたいことを選択する大切さ

「どうして、サッカーは男の子しかやっちゃダメなの?」

「女の子だってサッカーしていいのよ。やりたいなら、自分で『混ざりたい』って言いなさい」

 

狭い小学校の校庭で、お昼休みになるといつも真ん中のコートを陣取って楽しむ男友達。彼らを見ていて、「ずるい」という感情をどうしても抑えられなかった小学校低学年の私は、母にこんな質問をした。

この会話以降、私はお昼休みになると、女友達との一輪車やブランコ遊び、お喋りと並行して、よく男友達の中に女子一人混ざり、サッカーをして遊んだ。

 

中にはサッカー部の子もいたから、ボールをもらえなくて悔しい思いをしたし、強烈なシュートを顔面に受けて号泣したこともある。でも、もともと歳の近い兄2人と庭野球(プレイヤーは3人。ピッチャー、キャッチャー、バッターのみの遊び)をしたり、小学1年生の頃からスポ少(卓球部)に所属し、スパルタ監督による筋トレやランニングをこなしてきた経験から、男勝りで生粋の負けず嫌いだった私は、そんな中にいても馴染んでいた(と思う)し、何よりずっと「男の子のスポーツ」だと思っていたサッカーを体験することができて、とても嬉しかったのを覚えている。

 

 

母はいつもそうだった。

中学に上がり、オーストラリアへの2週間の海外派遣の面接に合格した時、十数万円の振込通知書を学校から受け取り不安になった私は「本当に行っていいの?こんなにお金掛かるよ」と母に尋ねた。彼女は「本当はもっと高いんだから、半分のお金で行けてラッキーだと思いなさい」と言って私の背中を押してくれた。

 

大学生の時、「どうしても留学に行きたい」という思いを抱えつつ、金銭面で悩んでいた私の心を決めさせたのは、地元の公立大学に通っていた私に、「東京の大学に通えなかったから、その分節約になったしね。1年間、群馬でも東京でも経験できないことに挑戦しておいで」の母の言葉だった。

 

海外経験は、新婚旅行でのフィジーのみ。にも関わらず、母(と父)は、自分の子供には海外に行け、一人で旅をしろ、やりたいことをやれ、ただ人に迷惑は掛けるな、掛けた時はきちんと謝れ、と基本的にはどんなことも積極的に応援してくれた。

 

 

なんだかんだ言って、人は自分を生み育ててくれた人の言動に強く影響を受けるものだと思う。

 

母には、子供の頃からやんちゃすぎて叱られたことも多い。それでも彼女は、幼少期の私の「女の子は女の子と遊ぶべき」「女の子はサッカーしちゃダメ」等の思い込みの思考を、全て取っ払ってくれた。と同時に、「心から本当にやりたいことがあるのなら、挑戦してみなさい」と、当たり前のようで、なかなか踏み切れない一歩を踏む勇気を私に与え続けてくれた。

 

 

1年半前、割と安定している中堅企業の内定を辞退した時も、母にとっては得体の知れないフィンランドの組織で働きながら体調を壊した時も、これまた横文字の説明ばかりのアメリカの会社で働くと言い出した時も、「万美がやりたいなら、いいんじゃない」と言い、「お母さんにはよく分からない分野だけど、身体だけは大事に頑張りなさい」と応援してくれた。

 

 

年齢を重ねるごとに、言い訳を考えることや「できない理由」を挙げることは簡単になってきたように感じる。でも、これからも人生の岐路に立った時には、心の素直な声に従い、母に言われた通り「やりたい」と思うことを選択し、挑戦していきたいと思う。

 

今後も、心配も迷惑もたくさん掛けるだろうなぁと思いながら、素直な気持ちや興味に従い、何でも挑戦して良いんだよと言い聞かせながら育ててくれて、精神的にも金銭的にも支え続けてきてくれた母(と父)に感謝。いつか、フィジー以外の国に連れて行ってあげられるようになりたいな。

 

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いつもありがとう。

 

母の日に、愛を込めて

 

 

 

 

知識や経験がないからこそできること

この数ヶ月間、私の価値は一体何だろう?と考えることが多々あった。

 

それは、自分が尊敬する人や起業家と話をするときであったり、イベント企画やコミュニティ構築、投資先支援という今の自分の役割について考えるときであったり。

 

前者は、幼い頃から他者と自分を比較することを無意識に行う自分の性格上、もう仕方のないことと割り切っているので、落ち込むときは落ち込むし、何故落ち込むのか原因もわかるようになったから、さほど大きな問題ではない。

 

後者の場合は、起業家やスタートアップという、興味はあるものの自分にとってはまだ少し遠く感じられる、経験も知識もない分野の人を相手にすると、何をどう考えて頑張ったら自分の存在意義が見出せるのか本当に分からなくて、しばらくの間「逃げたい」気持ちと戦っていた。

 

 

  • エグジットしてない
  • 資金調達の経験ない
  • 金融の知識ない
  • 起業してない
  • 営利目的の事業経験ない
  • もはや学校卒業してない社会にすら出てない

 

 

そもそも、この、経験も知識もないない状況の私が、どうやって起業家のサポートができると言えるのか。何も知らずにイベント企画や運営をしていた数ヶ月前の方がやりやすかった、という風に思ってしまうくらい、長らく今の自分を否定していた。

 

 

そんなとき、いろんな人にアドバイスをもらう中で気付いたことは、

 

「そもそも私は何をしたいのか、何をしていると幸せなのか」

「技術や経験以外で、私としての強みは何なのか」

 

を考えることを完全にすっ飛ばして、「経験がないから自分にはできない」と一方的に自分を否定して勝手に自信をなくしていただけだったということ。

 

 

 

自分が好きだと思うこと、楽しいと思うこと

 

単純だけど、誰か目の前の人を笑顔にすることだったり、他者に感謝されること。

 

留学前、21人の部員の誕生日ケーキを毎月作っていたのは、彼らが大好きでひとりひとりみんなに喜んで欲しかったから。

DJを始めた理由は、クラブにくる友人が笑顔になってほしいと思ったから。

 

多分、私が今まで何となく選択してやってきた、何気ない小さな行動ですら、こういう”目の前の人との関係を大事にしたい”という理由がどこか根底にあったと思うし、だからこそ今は自分から人に笑いかけたいし、ありがとうって伝えられる人になりたいと思う。

 

 
 
自分が無意識レベルで行う、強みになりうるもの

 

協調性や適応能力、他者への気遣い・気持ちを察し理解しようとすること。

 

育った環境から、他者の気持ちを汲み取り共感する能力は長けていると思う。感受性豊かで引かれるくらいよく泣く。

団体競技や音楽(オーケストラ)を長年やってきたことから、仲間への思いやりや他者を巻き込む協調性は多少備わっている。

 

 

(ここで、一昨年受けたストレングスファインダーにこんなこと書いてあったな、ということを思い出した。恐らく少し変わっている可能性があるので、もう数ヶ月経ったらまた受けたい)

 

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それで、何が、どうなるの?って話なんだけど、

 

 

自分の中で、ないないと思っていた経験や知識は、今の自分にはそんなに大きな問題じゃないんじゃないかなって思い始めた(小さいけど自分にとっては大きな一歩)。

そりゃ起業したことがあったら今の私がやっていることに説得力も信頼も増すし、できることは圧倒的に増える、けど、そんなことを言っていたら、今の私は何もできないじゃん、って思ったり。

 

 

それでも、自分は何をやるにせよ、出会い関わる相手の笑顔を見たいし、自分がやったことで感謝されたら嬉しいしまた頑張ろうって思うし、

たとえ自分が経験したことないものであったとしても、相手が何に困っているか想像することはできるし、相手との関係を良くして話を聞かせてもらって、気持ちを理解しよう・共感しようとすることもできるし、自分自身に提供できるものがなくたって、情報や機会を探したり、経験者を引き合わせたり他者を巻き込むことはできるかもしれない、

 

って考えたら、大分気持ちが楽になり、なんだか絶望的に思えていたことがむしろ楽しく思えてきた。

 

 

 

だから、大事なことは

何かを知っていることや、何かを経験してきたことはもちろんプラスにはなるけど、それがないんだったら、ないって気付いて受け入れた上で、今の自分が持っているものやできることを駆使して工夫することや、足りないものを他者から学ぼうとすることなのかな、ってことでした。

 

 

It’s not about the knowledge you have, but it’s about the air and the atmosphere you bring. 大事なのは、あなたが何を知っているかではなく、あなたがどんな空気・雰囲気をつくるかということ

 

Your attitude determines your altitude. あなたの態度や姿勢が、あなたの高さ、あなたがどこまでいけるかを決める

 

 

おわり

人の上に立つ時にこそ大事にしたい3つのこと

「I do give feedback to you every week, BUT do you have any feedback for me?」

 

突然上司のJamesがこんなことを言うので、私は固まった。
正直、「学生インターンの身で、外銀出身、起業経験のあるベンチャーキャピタリストにどんなダメ出しをしろと?!」と一瞬戸惑った。

 

週4日を彼の隣のデスクで過ごしていると(もちろん朝から晩までミーティングの嵐、その合間に各イベントやカンファレンス登壇が入っているので、いつも彼がデスクにいるわけではない)、良いところに気付いたり、良い意味で考えさせられる点が多いのは事実である。

 

ただ、どうしても決定的なネガティブフィードバックが思いつかなかったので、肯定的なフィードバックのあと一瞬間を置いてから「時々、もっと気長に(優しく)いこうよ、と思うときがあるかな。外で食事しているときとか、店員さんへの対応が時々アメリカ人っぽい」と答えた。

 


この会話は、Jamesへの有益なフィードバックとはならず「この人は何て腰が低いんだろう、」という大きな衝撃を私に残して終わった。

 

 

ということで今回は、人をまとめる・人の上に立つ、いわゆる”リーダー”の立場であった時の過去の自分の経験を振り返りながら、今の自分が考える、今後自分が「人の上に立つ時にこそ大事にしたいこと(超ベーシック編)」をまとめようと思う。

 

 

 

1. 相手の瞳を見つめる

 

小さい頃、私の母は「きちんと勉強をしなさい」よりも「きちんと相手の目を見て話を聞きなさい」と私に言い聞かせる人だった。
そのせい(おかげ)か、小学校の担任だけでなく、当時習っていたピアノやヴァイオリンの先生、スポ少卓球の監督・先輩方にも、「食らいついてやるぞ」という若干挑戦的な眼差しを向けながら、彼らに育ててもらった。

 

最近、これは私の価値観を構成する要素の1つになっているのではないかと感じることが多い。この経緯から、対面で人と話をする時、私は今でも絶対に相手の瞳を見る癖があり、その相手が同様であるか否かによって彼らの印象すらも無意識に判断してしまうからだ。

 

最近読んでいる本に、これにまつわる興味深い一節があった。

 

”トップに上りつめ、さらに本物と呼ばれる人や一流と呼ばれる人達は、必ず「コネクト」という技術を使っているのです。コネクトとは、自分自身をアピールするよりも先に、相手の世界観を理解し、そこに自分の世界観を投影させ共感を生む技術です。最も簡単な技術として「相手の瞳を見つめる」という方法があります。”

小山 竜央(2016/9/29)『スマホの5分で人生は変わる』 KADOKAWA

さらにこの本によると、

”夫婦円満の人や長続きするカップルに共通する点は、パートナーと目があったとき、「瞬きのタイミングが同じ」という統計が出ています。”

 

らしい。

 

でもこれは恋愛に限らず、私がこれまでの人生で出会った部活動の先輩後輩同期やプロジェクトの仲間、今頻繁に出会う起業家や投資家、成功した経営者、その他色々な人々にも共通して言える気がする。
「この人、○○が尊敬できるなぁ」と直感で思う人は、大抵、他者が話している時、その人の目や表情を直視しているように思う(中にはごく一部、例外の人もいる)。

 


2. 自分より下の立場の人に対し、謙虚でいること

 

理想のリーダーのタイプは複数あると思う。が、最近私が「これだ!」と思ったのは、上司のJamesが「僕にフィードバックない?」と言った時や、500の投資先の創業者の方が、ただのインターンである私の話を丁寧に聞き入れてくれた時であった。

 

言語化が難しいので、改めてぐぐってみると、謙虚とは

”控え目で、つつましいこと。へりくだって、すなおに相手の意見などを受け入れること。”

 

だそう。

 

Slush Asiaのプロジェクトをやっていた時、私はこの謙虚さが足りなかった。もちろん周りのサポーターやパートナー、年上の方々に対しては、なるべく謙虚な姿勢でいようと気を配っていたが、(自分の心に余裕がない時に)自分より年齢が若かったり経験が浅い人・立場が弱い人に対して謙虚でいることは、想像以上に難しい。

 

特にこれは、「自分が組織を動かさなくては」というプレッシャーや責任感が強ければ強いほど難しいんじゃないかと思う。

数回、自分より若いメンバーに対して、きつい口調で怒鳴ったことがあり、これについて後悔の念とともに後ほど母に相談すると、

 

「確かにあなたはこの数ヶ月間頑張ってきたと思うけど。やっぱりお母さん、それだけは聞き流せないかなぁ。人の上に立つ時ほど、丁寧に、謙虚で、優しくいないと。その人たちはついてこないよ」

 

と言われた。自覚していたものの、これが結構ショックだった。
幸い、今ではそういう姿勢を体現している上司に出会えたので、これについてより近くで観察し、学びたいなと思う次第である。

 


3.「あなたはどう思うの?」と考えを引き出し、どんな答えでも受け入れる

 

インターンを初めて、2週間ほどが経過した時。組織のカルチャーや歴史、仕組みをまだよく分かっていない頃の私が、500の日本ファンド設立1周年記念イベントを担当することになった。

 

自分たちとしてどんなイベントにしたいのか、来てくれるであろう起業家や投資家、大企業の人たちに何を提供したいのか、全く分からない状態であるにも関わらず、Jamesが「What do YOU think? What do YOU want to do?」とよく聞いてきた。

 

最初は、「忙しいから押し付けられてる・・・?!」と若干思ったくらいだったが、それ以降、イベント企画するとき、コミュニティのあり方について考えるとき、外のイベントや他の企業・人について話すとき、起業家とのミーティングのとき、彼はよくこれを聞いてくる。

 

ふと、アメリカに留学していた時のことを思い出す。ネイティブに混ざって受ける授業では、自分の意見を言わなかったら、完全に”存在しないもの”として扱われる雰囲気だった。
英語が得意じゃないとか、この意見を言ったら皆にどう思われるんだろうとか、そういう不安と恐怖でなかなか考えていることを言えなかった。

 


そんな、常に「お前はどう思うのか、何を感じているのか」と問い続けられる環境に身を置いて4ヶ月半、ようやく「こうした方がいいと思う!」「こういう勉強会、私だったら行きたいと思うんだけど、どうかな?」と少しずつ意見を言えるようになった気がするし、他者と同じ意見だったとしても言いにくい意見だとしても、絶対に自分自身で考えた結果・思うことについて声を上げるべきだと考えるようになった。

 

 

反対に、何か目の前のことに突き進んでいるいるとき、特に自分がその中心・誰かに上の立場にいるとき、私は自分の考えだけで突進してしまいがちになる。
そんな時にこそ、同じチームにいるメンバーや、大勢の前で意見を発しないような人にこそ意見を聞き出し、どんな意見でも否定しない(取り入れるかどうかは別として)ことが大事なんじゃないか、と思う。

 

 

ということで、2016年12月時点の私が考える、何かのプロジェクトや組織で「人の上に立つ時にこそ大事にしたいこと」は、

 

1. 相手の瞳を見つめる

2. 自分より下の立場の人に対し、謙虚でいること

3.「あなたはどう思うの?」と考えを引き出し、どんな答えでも受け入れる

 

である。

 

 

数ヶ月前まで、まさに人をまとめる・人に指示を出さなければいけない立場にいたものの、今思い返すと全然できていなかったことや、後悔している点が結構いやかなり多い。今は、人の下(正直、フィードバックをもらう時以外は、良い意味で上下関係をあまり感じないが)で働いているので、この環境にいる間は、可能な限りこういうポイントをたくさんインプットしたいなと思っている。

 

もちろん、”考えたり、意見を言う”ことを”実際にやる”のが難しいことは十分承知しているつもりではあるが、次に自分が誰かの上に立つとき、こういうところをなるべく意識して実行したいなぁと思うし、いつか実際にやっていく中で、「これも重要だ!」と思うところは、随時アップデートしていきたい。

 

 

朝、ベッドから起き上がる理由

今日はあなたの命日であり、誕生日です。

 

 

死の体験旅行というものに参加してきた。この一瞬理解不能な言葉は、そこで言われた一言である。

1年以上前からこのワークショップの存在は知っていたものの、タイミングが合わず(というか忘れかけていた)、色々なご縁が重なり、今回初めて参加してきた。

 

死の体験旅行とは、名前の通り、”死を体験する”ワークショップです。ご興味のある方は、上のリンク先か、こちらの方の体験談もご一読ください。(宗教・宗派に関係なくご参加いただけます。本気で参加に興味のある方は、衝撃や共感が薄れる可能性があるのであまり読まないほうがいいかもしれません)

http://melt-myself.com/experience-travel-of-death20160628

 

 

簡単に言うと、単なる物語の中で「自分が死ぬ」という疑似体験をすることなのだが、これが結構、いやかなり、辛く、苦しく、悔しく、号泣するほど悲しくなったりする(私は涙と鼻水をこらえきれぬほど泣いた)。

 

私は普段から「何故生きているのか」「何故この時代にこの国に生まれたのか」「何故女性として、私という人として生まれたのか」ということを無限ループで考えたりするのだが(たまにクソ真面目すぎると引かれる)、空想の中で「死ぬ」ということを初めて受け入れてみた今、愛や希望、今まで・これからの人生について、思ったことを率直に綴ってみようと思う(※基本的に内容は暗めです)。

 

 

「死」というテーマについて、これまでの人生で2度、主体的に直面したことがある(ここで、あえて”主体的に”と表現するのは、親族や大切に思っていた人の”突然の死”は、確かに辛く悲しい経験ではあったものの、”自分が死ぬ”ことに直結するものではなかったから。つまり、自分で「死にたい」と思ったことがある、という意味で"主体的に"を使っている)。

 

自分が大切に思っている人や家族がこの文章を目にする可能性はあるものの、私がこれまで生きてきて感じたことや、たった今頭の中にあることを率直に書きます。気を悪くされる方がいたらごめんなさい。

 

 

1回は、今年のはじめ。多方面において、それまで感じたことのないようなプレッシャーとストレスを抱えきれなくなり、自分を否定し、自分の弱さを責め、さらには恵まれているはずの境遇を恨み、生きている価値や意味が一切分からなくなってしまった時があった。その頃は、数ヶ月間若干の鬱状態で、身体を壊して1週間の入院生活を余儀なくされた時には心底安心したし、さらに言うと、退院して元の生活に戻ってからは、「どうしたらもう一度病院に戻れるのか」「どうしたら苦しみから解き放たれるのか」ということを四六時中考えていた。酷い時には駅のホームに立っている時・歩道を歩いてる時に良からぬことを考えてしまうほど、”楽しさ”や”希望”というものがほとんど何も感じられなくて、その想いを心から信頼している人にだけ打ち明けることで、生きるという気力をなんとか保ったりしていた。

 

 

もう1回は、年齢も覚えていない頃に遡る。どういう訳か、不自由なく健康に生まれて、4人兄弟の末っ子で憎まれ可愛がられながらすくすくと育ったにもかかわらず、物心がついた頃には、「何故自分はこの家に生まれたのか」「何故私は生まれてしまったのか」という問いを自分自身に問い続けていた(あえて断っておくが、「お前なんて生まれなければ」というドラマのようなことを言われたり体現されたことは一度もない)。一度、その感情が爆発して、家族の前で包丁を自分に突きつけたことさえあった程だが、今でもあれは割と本気だったな、と思うと同時に、その頃の幼く寂しかった自分を強く抱き締めてあげたくなったりする(当たり前だけど、こんなにひん曲がった子供の奇行を止めてくれた家族に感謝)。

 

 

**********

 

 

だからかもしれない。私は小さい頃から自分の出生に強い想いを持っているからこそ、最近は、「この家族の一員として、私として生まれた意味は何だろう」とよく考えたりするのは。

もちろん、考えたって答えは出ないが、どちらかと言うと、”答えを自分で作り出そう”としていると思う(ちなみに、一周回って、現在家族との関係は当時と比べると超がつくほど良好で、それぞれとても信頼しているしブラコンシスコンマザコンファザコンなんじゃないかレベルで好き。この地、家、両親の元に生まれてラッキーだったし本当に良かったと心底思っているのでご安心を)。

 

 

こういう思い出は、今でも多少の辛さと苦しさを伴うが、物語の中とはいえ、一度死んだ今の私だから思うことは、

・精神や心を病んでしまうことも身体のどこかの具合が悪くなることも、明るく元気に希望に満ち幸せに健康に過ごせることも、すべて紙一重で、いつでも簡単に一線を超え得るということ

・今まで何度だって死ねてしまえる機会や命の危険に晒されたことはあったはずだけれど、私は運良く生かされてきたということ

・生かされているからこそ、「何かを還元したい・しなければいけない」という想いが心の奥底にいつも転がっていて、いわゆる”生きた証”を残したいと強く思うこと

 

だと思う(他にもあるかも、でも上手く表現できない)。

 

 

 

 

最後に、ワークショップを行なったお寺では、定期的に”キャンサーナイト”なるイベントを行なっているという。癌患者(とりわけ女性が多いそう)が、数百人くらい集まるほどの規模だとか。どんな内容かについては言及されなかったものの、お坊さんが仰った言葉が心に突き刺さった。

 

 

「彼らの多くは、毎朝目覚めるとこう思うんですって。『ああ、今日も生きている。』」

 

 

 

ここ1ヶ月くらい、(目覚めが悪いことが続いたため)「朝、何を考えたら・思ったら1番ワクワクして目覚められるだろう」とふと思ったことから転じて、「今本当にやりたいことは何か」「(あくまで指標として)卒業するまで/卒業したらどうなりたいか」「世間の目や家族のこと、学校のこと、何も気にしなくていいなら何をするのか」という問いを永遠と自分の中で繰り返してきたのだが、もっと大事な、大切な、根本的なことが抜け落ちていた気がする。

 

 

ベッドから起き上がれるのは、自分の足で不自由なく立て歩けるのは、生きているから・生かされているから。

何かを実現したいと思うことは、自分の生きた証を残すことであり、産み育ててくれた人への感謝と恩返しであり、それをまた誰かに届け紡ぎたいから。

 

 

今日、1121日は、私の中の私が死んだ日であり、生まれた記念すべき日と(自分の中で)なった。「人は失ってから大切さに気付く」とよく聞く言葉だが、今日失ったものがあると同時に、得たものもある。ということで、愛と希望と感謝の気持ちに包まれ、穏やかな想いのまま今日は寝ようと思う。

 

明日はきっと、幸せな気持ちでベッドから飛び起きるかもしれない、と思いながら(ちなみに言うと、部屋が狭すぎてベッドじゃなくて布団使ってるんだけどね)。

 

落ち込みすぎて嫌いになりかけていた自分のことが、また少し好きになった。

 

 

 

終わり

忘れかけていた、プロジェクトに向き合うときに大切なこと

「もうすっかりベンチャーキャピタリストだねぇ。こうしてSlush Asiaで頑張っていた皆が、いろんなところで活躍しているのは嬉しいなぁ。マミちゃん、次の世代のロールモデルになってね」

 

尊敬しているTさんに、こんな言葉をいただいた。初めてお会いした1年半前から数回に渡りお会いしてきたものの、直接面と向かってこう言っていただけたのは初めてで、(どういった意図であったかは分からないものの)とても嬉しかった。と同時に、私が今抱いている葛藤やモヤモヤした小さな悩みなどは全て見透かされているような気がして、なんとも言えない気持ちになった。

 

親友に「マミは人の影響を受けやすいからなぁ」とよく言われるくらい、私自身も自覚してはいるが、この2日間、冒頭の言葉がずっと頭から離れなかった。それ以前からも何かが心につっかえている心地がしていたのだが、とある先輩に指摘していただいたことがこのモヤモヤに関連するような気がして、このモヤモヤの正体と向き合ってみようと思う。

 

 

そもそも、私がベンチャーキャピトリストであるか、それに向いているのか否かという問いは置いておいて、ベンチャーキャピタルに身を置いていると、「この事業は上手くいきそうか」や「プロダクトマーケットフィットがしっかりできていて、トラクションが揃っているか」、「この人に投資したいか」という判断軸が自然と備わっていく。私は投資案件に関わっているわけではないので、その軸が研ぎ澄まされるか否かはまた別として、自然とこういった考え方をし始めていることに気付く。

もちろん、「儲かるの?」よりも「こんなことできるの?できたらスゴイ!」というアイディアを支援することも多々あるだろうが、人様のお金を預かり巨額の資金を運用しているので、利益を生み出すことを第一に考えることは当然である。

 

誰しも未来を完全に予測することができない中、こういった判断軸や多量のリサーチ、ネットワークにより、成功する人や企業を発掘し、支援し、成功の一助となるのだから、投資家やベンチャーキャピタリストの凄さ・偉大さは語彙力のない私には言語化できないほど凄いし、彼らをとても尊敬している。

 

 

一方で、全く別の組織でイベント企画・コミュニティ形成に打ち込んでいた数ヶ月前の自分を振り返ってみる。

 

投資家やベンチャーキャピタルから資金調達こそ行っていなかったものの、各パートナー企業から協賛金をいただいたり、さらにいうと金銭だけでなく、人や知識、ネットワーク、スペース、メンタル的なサポートをたくさんいただいていた。

 

そんな有難い環境の中にいても、未熟な点やミスコミュニケーションが多すぎて、多方面から「無理だ、こんな組織じゃ上手くいかない」、「今年は失敗する」、「もう応援できない」と何度も言われた。だが、いくら周りにそう言われたとしても、自分たちだけは”できる”と信じていたし、「絶対にやりきってみせる、成功させてやる」という強い信念とパッションだけは持ち合わせていた。

私は特に気持ちと感情の起伏が激しいので、調子が悪い時はこの情熱が途絶えてしまいそうになることもしばしばあったが、その度に、仲間が励ましてくれて私の自信を取り戻してくれた(し、イベントは特に、何を以って”成功”と定義するか判断が難しいが、小さな失敗はもちろんたくさんあったものの、それでもイベント自体は失敗ではなかったと思う)。

 

 

こんなことを、尊敬している方や先輩の言葉を受け考えさせられ、最近動き始めたSlush Asiaの新しいチームを見ていて(感覚でいうと、立場が”プレイヤー”から”サポーター”になった感じ)、ふと思い出した。

もちろん、立場によって感じることや考えること、得られる価値観は全く違うと思うが、

・信念を持ち、情熱・パッションを抱き続けること

・潰れてしまいそうな時に、支え合い励まし合える仲間がいること

がいかに大事であるかを、忘れかけてしまっていたことにこの2、3日で気付かされた気がして、正直とても驚いたしショックだった。

 

いつか、何か自分のプロジェクトを始める時、プレイヤーになる時に、収益性やマーケットの大きさを考えることはもちろん大事であるが、それ以前に、自分が何に意欲を掻き立てられているのか、何故それを実現したいのか、という理由付けや、たとえ周囲に批判されたとしても「本当に実現したい!」という熱い想いを絶対に忘れないようにしよう、と思ったのでメモ。

 

 

 

 

 

余談だが、今でも「Slush Asiaで辛かったことは?」と聞かれる度に、昨年の暮れ、オフィスで泣きじゃくる私を、田口とマリが懸命に励まして自信を持たせようとしてくれたシーンが目に浮かぶ(あの頃は落ち込み?落ちぶれ?すぎて、心に届かなかったが、そのくらい仲間想いな人たちに出会えたことが、潰れそうな私を支え・励ましてくれたと思っている)。

今回、いくつかのタイミングが重なって、歳をとるごと・社会の色々なことを学ぶごとに、パッションと情熱を持ち続けることは意外と難しいんじゃないかと思ったことと、当たり前だけど「何をするか」よりも、「誰とするか」は大事で、こういうプロジェクトで出会った仲間や先輩たちに、私は育ててもらったなぁと思ったので(いつかどこかで見た、The people who you meet shapes your life. という言葉が好き)、このブログを書いてみた。

 

 終わり

500 Startups と Fortune 500に選ばれた会社の比較から、企業カルチャーについて考えてみた

 「Hahaha it actually shows that. Good catch, Mami!」


(もう先月になってしまったが)2日間スタッフ参加したTech in Asia Tokyoで、ものすごく嬉しい出来事があった。
私の担当は、メインステージ登壇者の登壇後のメディアインタビューをコーディネートすることだったのだが、連絡が行き届いてないのかメディアがスピーカーに興味が無いのか、肝心のメディアが現れないことが数回あった。500 IndiaのPankajiを対応した時も同様で、メディアが1社も来なかった。

それまでと同様、登壇した直後のPankajiともう1人(インド人の投資家)をメディアルームに迎え、場所の説明・何故メディアがいないかの説明(要は謝罪)をする。この時、私はどちらが500 Indiaの人か認識しておらず、ただひたすら失礼のないように謝っていたのだが、その2人はこんな特徴を持っていた。
・1人はiPhoneをスクロールしながら私の話を黙って聞き、
・もう1人はじっと私の目を見つめながら話を聞き、その後で「大丈夫だよ。君のせいじゃないのはわかってるし、ステージでの対談楽しかったから」と笑顔で返してくれた。

このとき、直感で「この人が500の人に違いない!」と思い(私の直感はよく当たる)、後々きちんと自己紹介をしながら話したら(すごく人柄が良い人だったので生い立ちやキャリアが気になって、翌日イベントが終わった後に小一時間話し込んだ)、「確かにそうだったね、よく観察してるじゃん」的な意味を含めて「Good catch!」と言ってくれた。

イベント運営に携わっていた経験から、良くも悪くも、組織もイベントも結局は人がつくっているもので、最終的には「人柄」や「丁寧さ」が最も重要であると感じていた私は、一言で言うとこのとき感動した。

組織を存続させるために、「何を達成するか」のミッションや存在の意義を掲げることはもちろん大事だが、この出来事から、何故ここで働きたいと思ったか、いかに企業文化やフィロソフィーが重要かに一度フォーカスしたいと思った。

せっかくなので、アメリカ留学時代に3ヶ月弱インターンをしていたFortune 500に選ばれている企業:Expeditors International Wasington, Inc.(アメリカはワシントン州シアトルにヘッドクォーターを置く、世界100カ国強にオフィスがあり従業員は15,000人強、日本にも展開している空海運の物流企業)と比較してみた。
※リンクにもあるが、Fortune 500とはアメリカ合衆国フォーチュン誌が年1回編集・発行するリストの1つで、要はこれにランクインされる=めちゃ働きやすい会社の象徴ということだ。

 

Expeditors International Washington, Inc.

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文化についてのwebsite引用

At Expeditors, our culture is about exceeding our customers' expectations and providing a place for our employees to make a career. It is noticeable that our people just care more. They move faster, work harder and are better rewarded than our competition. Our offices are neat, organized and set up in accordance with our quality standards. It's a simple philosophy that works - we will do all we can to protect our culture.

 

このもとに、10のフィロソフィーがある。


Appearance (見た目、容姿、態)

Attitude (態度、物事に向かう姿勢)

Excellence (優秀、卓越)

Confidence (自信、信頼)

Curiosity (好奇心、興味)

Integrity (正直、誠意、誠実さ)

Pride (誇り)

Resolute (断固、果敢)

Sense of humor (ユーモアのセンス・感覚)

Visionary (明確なビジョンを持つ人、夢想家)

 

インターン中、コラージュをつくってホーム画面に設定していたほど、このカルチャーが大好きだった(CuriosityとAtitudeがお気に入りだったのは明白(笑)今はどちらかと言うと、IntegrityとConfidenceが好き)。Fortune 500に選ばれている程度なので、発言を受け入れる、他者をほど良く気遣う・互いを尊重し合う、社員教育がしっかりしている(物流からビジネス、会計、システム、国・企業文化、パブリックスピーキング等々、必修・選択含む役員・取締役含む全社員対象のクラスがたくさんある、私の仕事はこのトレーニング部署のお手伝いだった)という点で、とても働きやすい会社だと感じた。

 

500 Startups

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※日本語訳は、THE BRIDGEさんの記事から拝借。

thebridge.jp


1. Be bold, be humble. Forgive mistakes, but not timidity.

1). 大胆であれ、謙虚であれ。ミスは許しても、小心は許容すべからず

2. Move fast, break things. Iterate to success. Fast.

2). 迅速に動き、物事を破壊せよ。成功するまでそれをスピードを持って繰り返せ

3. Challenge yourself, and others. Hold each other accountable 100% of the time.

3). 自分、そして他者に挑戦せよ。常にお互いに責任を課せ

4. Be diverse and inclusive. Diversity and inclusion is our strategy and moral imperative. Embrace it.

4). 変化し、多様であれ。多様性と包含性は、私たちの利益戦略で道徳的必須要項だ。それを謳歌せよ

5. Have fun. It's our job to make money and GSD, but it's also our job to have fun.

5). 思いっきり楽しみ、稼げ。稼ぐことは私たちの使命でGSD(Get Stuff Done)であると同時に、それを楽しむこともまた私たちの使命である

 

※GSD=公の場では"Get Stuff Done"と言っているが、実際(インターナルで)は"Get Shit Done"。

 

(何故か日本語に訳すと表現が硬くなるような・・)Forgive mistakes, Challenge yourself, Be diverse and inclusiveはSlush Asiaの頃から大事にしていたことだし全部好きだが、特に5番目の #HFGSD (=Have Fun Get Shit Done) が大のお気に入り。VC・500・James/陽平さんのことを正直あまり知らなかったが、最後の一文を読んでインターンの応募を決意したと言っても過言ではない。

 

 

と、いうことで、比較も何もなくただ羅列しただけだけどw、9月は500のUSや東南アジア、インド(Pankaji)チームの人に会うことが多く、インターン2ヶ月目にしてより"500 Startups カルチャー"を感じることが多かったので改めて振り返ってみた。もちろん日本オフィスでもこんな感じで、いつもジョークを飛ばしながらも #HFGSD をちゃんと遂行している(私は効率悪いながらもこれを目指している)。

 

最後に、私は物事よりも直感やカルチャーフィットを大事にしているので、組織に属す・企業を選ぶ時だけでなく、組織をつくる時においても、ビジョンだけでなく文化をつくることは大事だ、と強く感じている。SlushでもAsia(Tokyo)なりにカルチャーを明確にできたのかな、と時々思うし、次に自分が組織をつくる時には、どこかのタイミングでこういうのつくりたいなぁ、というぼやきで終わり。

 

 

500とSlush、VCと利益追求を目的としない団体の相違点(私見)を挙げてみた

※VCと利益追求を目的としていない団体といっても、単に500とSlushを比較した私見を述べただけの自己満ブログです。

 

「"Global from Day one" is the key for us.」

 

8月2日、インターン初日、 朝9時から続く怒涛のミーティング嵐の前に、Jamesが500についてのレクチャーをしてくれた時、彼がこんなことを言った(一字一句を覚えているわけではないが、要するにこんな意味合いだった気がする。彼は、経済用語だけでなく”VC”や”ファンド”の言葉の意味さえ知らない無知な私に、”VC101”なるレクチャーを開いてくれたり、私のわがままである週一フィードバックの時間を設けてくれるくらい、見た目やイメージに反して面倒見がいい)。

 

前日から続いていた極度の緊張のため(前日は500の有名な投資先を調べたり500 Japanにまつわる記事を読み漁ることで気を紛らすという、テスト前にいつも一夜漬けをする私の性格がよく表れた)、記憶が鮮明に残っているわけではないが、この時、無性に嬉しかったことだけはよく覚えている。

 

何故ならば、”Global from Day one”は、前職(?)のSlush Asiaでコンセプトミーティングやイベントの意義・ゴールを話し合う際、いつも大切にしていたことだからだ(スタートアップや起業家を支援するという大前提の上に、とりわけ、初回の2015年が”Global” [全プログラムの英語進行]、今年2016年は”Youth”や”Rebel” [直訳すると反逆者、運営を学生・若者主体にすることで年齢に関係なく大きなことを成し遂げられる、という挑戦心を表す] のようなコンセプトを一応掲げていた)。

 

この時点で、ただのインターンという立場ではあったものの、社団法人からVCにジョインすることに少なからず不安を抱いていたからこそ、この衝撃はなんだかとても嬉しいものだった。

 

そもそも、考えてみると、Slush(フィンランド)も500(アメリカ)も、もともと海外から日本にきていて、同じスタートアップエコシステムにいるプレイヤーとして(一般通念上、VCとイベントをプレイヤーと呼ぶかは知らない)、似通っている点が多いのではないかと感じる。

ただ、正直なところ、数ヶ月前までは”投資家への苦手意識”が何故かずっと頭の中にあったので、VCという環境に1ヶ月身を置いてみて、素直に感じるノンプロフィットとの違いを書き出してみようと思う。

 

※繰り返しになりますが、VCと利益追求を目的としていない団体といっても、あくまで500 StartupsとSlushを比較した私見を述べるだけになります。

 

 

◆組織形態

そもそも、それぞれの組織形態は会社なのか?ということで調べてみる。

500 Japan: 日本では、500 Startups Japan, L.P.リミテッドパートナーシップ:有限責任組合)というマイクロファンドとして成立されている。実は、500では、500 Startups Management Company, L.L.C.Limited Liability Company、リミティッド・ライアビリティ・カンパニー:有限責任会社)のもとにメインファンドがあり、10以上のマイクロファンドを世界中に設立している(いずれ、500という名前は投資先の数 [確か現在1,600社近く] ではなく、ファンドの数になるのではないかというジョークもあるほど)。これらは全て独立しており、メインからマイクロにLP出資やアドバイザリー・サポートがあったり、共同出資をする関係にある。組合と会社の違いはよくわからないのでスルー、とにかく500 Japanは会社ではなくファンドとして成立しているらしい。

Slush Asia: Startup Sauna Foundation(財団、スタートアップ支援活動全般)のもとにStartup Sauna Oy(株式会社、イベント「Slush」の運営を行う)があり、そこでSlushをはじめとするいくるかのスタートアップ支援が行われている。一方でSlush Asiaは、2015年の開催前に、日本に一般社団法人SLUSH ASIAを設立している。

 

◆ミッション・目指しているもの

500 Japan: ①大きなクロスボーダーM&Aに携わる事。②日本から真のグローバル企業を生み出すことに貢献する事。 

Slush Asia: ①Global -「最初からグローバル」を当たり前に。②Open - 国内外の誰もが参加できるオープンでフラットなコミュニティ作りを目指す。③Cool -「スタートアップはカッコイイ」という魅力を若者が感じ、新しい価値創造に果敢に挑戦する人を増やす。

相違:リンク先にも記載があるが、クロスボーダー・国内EXITやIPOを増やすこと、シリコンバレーや海外にいる他のVCを日本に連れてくること、グローバルネットワークを駆使し日本のスタートアップの海外展開を支援する、という強固なグローバルネットワークを持つ500 Japanに対し、人口500万人(北海道と同じくらい)のちっぽけな国に、シリコンバレーのようなアツイ場をつくろうと広がったグラスルーツの起業ブームを、「起業家をロックスターに」のコンセプトのもと日本で広げていこうとするSlush Asiaは、少しテイストが異なる。

が、海外で成功・広がるムーブメントやコミュニティを、「日本のスタートアップエコシステムをよりアクティブに」するために日本にもってきた、というスタイルは結構似ていると感じる。

 

◆運営・メンバー構成

500 Japan: (マネージング)パートナーが2人と、フルタイムアシスタント1人、インターン2人(2016/9/4時点)。

Slush Asia: CEO(社団法人役員)と、その他各部署(パートナーシップ、マーケティング、スピーカー&プログラム、スタートアップ&インベスター、リーガル&ファイナンス、プロダクション、IT、人事&ボランティア)に学生・既卒が1~2人ずついるイメージ。イベント数ヶ月前からは各部署にプラス数名、各チームのリードが20人前後増え、当日は学生(社会人も1割弱)ボランティアが400人強携わっていた(Slush Asia 2016の場合)。

相違:メンバー構成が圧倒的に異なる(組織形態が違うことと、そもそも業務内容が全く違うから)し、携わっている年齢層にも違いがある。

ただ、働く環境としては、どちらもスタートアップライクで、(私的に良い意味で)整備されていない点が多く感じる。また、双方海外にヘッドクォーターがあるため、現地のチームとのやりとりが多く、”ファミリー”が各国にいて何だかとても頼もしく楽しい。

 

◆カルチャー

ここに関しては、日本だけではなく本家のところから着目する(あえて原語のままで)。

500: Humble, Diversity, Misfit, Crazy, Change, Global, Knowledge, Geek, Inclusive

Slush: Global, Open, Cool, Rebel, Youth, Inclusive, Diversity, Challenge, Mistake, Volunteering (Non-profit), 

相違:500は良い意味で起業家の年齢にこだわりを持っていない(人柄・チーム・プロダクトが良ければ年齢は問わない)点に反して、Slushは、起業家だけでなく、同時に次世代・若者の起業家や彼らの起業家精神が育っていくことにより重きを置いている。面白いのは、双方グローバルとうたっているものの、500 Japanはマーケティングに”日本語”を使用し、一方のSlush Asiaは”英語”のみを使用することにこだわっている(500 Japanは日本のスタートアップを本気で支援するために日本語でアプローチをし門戸を広げ、Slush Asiaは英語縛りにすることで海外展開や英語でのピッチ等をより身近に感じてほしいと考えていると推測する、どちらの理由も理解できる)。

ただ、500は世界規模で見てもチームや投資先の人種や性別、肌の色、使用言語が多様であったり、Slushはチームに私のような女性・スタートアップに精通していないメンバーが多かったり、意図的に登壇者・登壇企業も性別・国籍の比率を調節したりしている点で、どちらもダイバーシティ・インクルーシビティにかなりこだわっているように感じる。また、働いていて感じるのは、両者失敗を歓迎する空気があることと、「やってみないとわからないじゃん」的な勢いは少なからず、いや大いにある。

  

◆エコシステムでの役割

500: シリコンバレーからやってきたVC。

Slush Asia: 北欧フィンランド発祥のイベント・カンファレンス。

コメント:ここに関しては私も勉強中のことが多いのでまとめ方がわからないが(それでも書きたい)、そもそもスタートアップや登記したて・する前の企業がスケールするためには資金(投資家)が必要で、起業家が国内外の投資家に一同に会えるのがイベントやカンファレンスである、という当たり前のことを半年前の私は知らなかった。

ただ、双方に多少身を置いて感じるのは、ただのVC・イベント業務だけではなく、どちらも日本のスタートアップエコシステムをよりアクティブに、大きくするため(要するに起業家の数と資金調達の総額を増やすこと?)、大企業や行政とコラボしたり、海外のスタートアップ・投資家を日本に呼んできたり、起業家になりうる人(学生・企業に勤める人)を支援しているのは、どちらもとても重要な役割であると感じている(そして、この部分に最も惹かれて私はこれらの組織に入ったのだと最近気づいた)。

 

 

以上は、インターンを始めて1,2週目に毎日感じていて、どうしてもどこかに書き留めたくてうずうずしていたことである(このためにブログを始めたのは言うまでもない)。

前述したように、Slush Asiaを終えた後に500にインターンとしてジョインすることには多少の迷いと不安があったが(いろんな人に相談していたので、応援してくださる人の中の中には、起業してみては、スタートアップに入った方が、と意見をくださる人もいたし、実際自分でもそう考えていた)、組織のカルチャーや事業・出会える人の層を考えると、私がここに入りたいと思ったのはごく自然な流れだとも感じている(し、今になってはアメリカの夏期プログラムに落選して良かったとポジティブに考えられるようになった)。

 

 

 

最後に、私がここ1週間最も感じたことをもう少し。

 

◆立ち位置

500 JapanもSlush Asiaも、VCと一般社団法人(イベント運営)という立場上、数千〜数億・数十億規模のお金を運用する。そのお金がどこからくるかというと、協賛や出資を行ってくれる(Slushではパートナー、500というかVCではLPと呼んでいる)エンジェル、大企業、銀行、行政、各種機関だ(イベント協賛はイメージしやすいが、これまで投資家=ベンチャー・スタートアップに投資している、というイメージしか抱いていなかった私は、そもそもこの大前提の構図を知らなかった。絶賛勉強中)。

 

何故かここにきて改めて感じるのは、小さな企業がスケールするために投資家やイベントの存在はもちろん重要であるけれども、それ以上に、そのVCやイベントに出資している大企業の社会的影響力や資金力はえげつなく大きいということである。

 

こんな小さいけれど大きなお金の動きを目の当たりにし、こうして社会は回っていたのかと、ずっと忌避していた経済学への興味も湧いてきた。

「将来やりたいことは何なの?」と聞かれることもしばしば。まだまだ、自分の興味や関心を開拓している道半ばだけど、もう少し時間をかけて寄り道をしながらいろんなものを拾っていこう(ちょっと無理やりだけど、1ヶ月間もやもやしていたことの一部を吐き出せたので終わり)。