「自分は幸運だ」そう思うことで舞い込んでくる、新たな運

"Meeting with you, was one of the most precious things that I have had at this company."

 

突如、昨日が最終出社日となった同じチームの同僚と話しているときに、自然と口から出た言葉。

 

彼女は、私よりも2つ歳下だが面倒見が良く、それでいて可愛らしく明るくて、責任感もあるし気遣いもできて(「気遣ってるように見えても、中国人は結局自分のことしか考えてないのよ」といつだったか笑いながら言っていたことがあったが、彼女は本当に優しい人だった)、時に繊細だけど前向きで、経験が無いことにも学ぶ意欲に満ち溢れている、とても素敵な人だったし、チームで唯一の外国人の私にとってはそんな心優しい彼女が有難く貴重な存在でもあった

英語堪能な彼女は、中国語での会議のポイントを私に教えてくれたり

私が部屋探しをしていた時に一緒に内覧に行ってくれたり(結局、彼女が住むアパートの空き部屋に入居することになったので、今もご近所)

引っ越して間もない頃、布団がまだ届いてなかった時には暖かいブランケットを貸してくれたり

毎日ランチになると「Mami! 」と笑顔で声を掛けてきて、社食まで歩いている途中嬉しそうに腕を組んできたり(友人に対するこの仕草は中国人女性によく見かける)

先日私が急性胃腸炎と高熱で寝込んでいた時、「少しは食べないと!」と仕事後に熱々のお粥を買ってきてくれたり

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熱でうなされていた時に彼女が差し入れしてくれたお粥

行き帰りのバスが一緒になると、お互いの仕事や人生、家族、将来、いろんなことを話し合ったり

「中国語で『mami(妈咪)』はママの意味だから、Mamiは皆のMami(ママ)ね!」と中国語や中国の文化、考え方をたくさん教えてくれたりもした。

 

そんな彼女は、私よりも1ヶ月遅れて入社したので、昨日辞職となるまで(半ば解雇・半ば自主退社だが、彼女に非は無い)、この半年間の私の中国での生活の中には、いつも彼女がいた

これまで、いろんなことが重なり(いつか時効になったら書ける日がくるかな)、7ヶ月間で優に15人以上の同僚・上司が会社を去る姿を見てきたので、もうよほどのことが無ければ動じなくなっていたが、昨日ばかりは悲しさ、寂しさ、会社や上司への怒りが混じって、とてもやるせない気持ちだった。

 

ただ、ふと、もし彼女がこのタイミングで同じ会社に勤めていなければ、そもそも彼女と出会うことさえなかったら、どうなっていただろうかと考えた。

 

まず、私はこんなにすんなり家を見つけられず、素敵なご近所さんを持てなかっただろうし、

同僚として、だけではなく、1人の中国人の友人として、こんなに心優しくて人懐こい人と出会えることもなかったかもしれないし、と考えたら、

彼女と出会えたこと自体が、もはや奇跡でとても幸運だったんじゃないか、とも思えて、また涙が出そうになった。

 

 

「自分が幸運だと思える人は強い。そうして行動し続けていると、さらに周囲の支援が得られたり新しいチャンスが舞い込んでくるから」

 

皮肉なことに、私にとって昨日は入社史上、トップ3に入る記念すべき日でもあった。年明けから徐々に準備してきた、新製品のリリースと、とある非営利団体との提携をようやく発表できたからだ。

人もいない、リソースも限られていて、さらに先月から続く社内でのゴタゴタがあった中、製品やWebサイトのローカライズ、販路確保、提携、発表の準備を進めてきたことを知っている、人生経験が私の倍以上ある、とある日本の販売パートナーの方が

 

『これまで東野さんが努力されてこられた事が本日のリリースに繋がっていることを考えると、本当に「お疲れ様でした!」の一言ですね。日々逆境の中、本当に大したものだと感心させられっぱなしです。』

 

と、発表後にメッセージをくださった。その時、そもそも製品が販売できるのは製品チームやパートナーの協力のおかげで(訳あって営業ではない自分が初めて販路を確保する必要があったものの超苦戦したので、ようやく取り扱ってもらえることが決まった時には感極まって電話越しに半泣きでペコペコしまくった)、提携に関しては幾度か迷惑を掛けながらも提携先の方々が快く準備を一緒に進めてくださったおかげで、何よりも先月、仕事で1番きつかったときに支え励ましてくれたり差し入れを送ってくれたのはあなたです、とお礼を言った。

 その時に、「あれ、よく考えると私めちゃくちゃ恵まれてないか?こんな人たちと仕事ができるのも、支えてくれたり応援してくれている人がいるのも、めっちゃツイてない?」と思えた。

 

そんな時にふと思い出したのが、「自分が幸運だと思える人は強い。そうして行動し続けていると、さらに周囲の支援が得られたり新しいチャンスが舞い込んでくるから」という、昨夏当時まだニートだった私に、前職の時から起業家として、人として尊敬しているとある企業の経営者がご飯に誘ってくれた時に言ってくれた言葉だった。

 

 

心優しい大好きな同僚が辞職するのはとても悲しいけど、多分彼女の今後の人生にとっては良い選択になる。だからこそ、この6ヶ月間彼女と同じ会社で働けたことに感謝だし、とてもラッキーだったと思う(「私が経営者か上司だったら、絶対にあなたと働きたい」と思わず口から零れた言葉を聞いて、彼女は嬉しそうに笑っていた)。

 

そして、とても頼もしい同僚、協力的なパートナー、支援してくれる人々が周りにいる今の自分は、改めて幸運だと思うし、中国ベンチャーらしい衝撃的なことも多くあれど、変化が大きく生き残るのが容易で無い環境に身を置けていることも、とても刺激的で貴重だと思う

 

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歌うように話し、優しく、よく笑い、よく泣く彼女。そんな彼女は、「こういう人でありたい」と自分自身にとって良い影響をもたらしてくれたんだと思う

 

今回は、ブログというか昨日起きた自分的に大きな出来事について、自分の素直な想いをただただ記録しておきたかったのと、「あなたの感じ考えていることは、発信する価値があるから。セレンディピティを生むから。」と1年ぶりにお会いしても当時と変わらず励ましてくれた方がいたので、ありのままに書いてみた。

 

きっと、来週からは愛くるしい同僚がいないことに違和感や寂しさを感じる日々が続くし(また泣くだろうな)、またいろんなプロジェクトに向けて地道な作業が続くだろうけど、自分が決めて来た今いる場所がベストであり、恵まれている、幸運であると思って、環境や周囲の人に感謝しながら、少しずつ前に進んでいこう。

 

おわり

 

 

恵まれた環境を離れてからの1年間で学んだ、自分を“変える”ために大事なこと

"You know, when you work at a Chinese company, the most important thing is to convince your boss. It doesn't matter what you think is right or not. You just need to think and prepare how to make your boss to say YES to get things done."

 

とある中国企業のマネージャーがこんなことを言ったとき、中国で働き始めて半年が経過していた私は、あぁ、なんか分かるかもなぁと感じて、「たとえ自分が納得していなくても、意見があったとしても、“上司が1番”。これが異国の文化に沿うという、中国で中国企業で働くことということだ。」と自分に言い聞かせた。

 

と同時に、「マミはどう思うの?どうしたら良いと思う?」「マミは今後どういうことをしていきたいの?」と、チームの一員の意見を尊重してくれたり、仕事を通じて私という1人の人間の成長にも常に向き合ってくれた前職の上司の存在や、そんな環境に身を置けていた過去を振り返って、とても恵まれていたんだなと気付いた。

 

昨夏、身寄りや知り合いがいない深センに旅行者として訪れ、赤の他人にひたすら自分を売り込む中で偶然就職先を見つけて、この地で自分の居場所や価値をつくろうと必死でもがいてきた。

450人弱いる本社勤務社員の中で外国人は自分を含めたわずか3人、内唯一の日本人というラベル以外は何者でもない自分に何ができるのか、何ができないのか、言語や文化、考え方の違いに日々向き合い、突然の組織編成や方針変更、ともに働いてきた同僚の突然の解雇など、中国ベンチャーらしいジェットコースターのような経験をしながら、日々生き抜いてきた。

 

そんな環境で働き始めて7ヶ月間が経った今、仕事以外にもっとできること、挑戦できることが無いものかと感じ始めたので、今の自分を少しずつ良い方向に変えるためにどうするのが良いのか、これまでを少し振り返りながら考えてみたくなった。

 

 

1. やりたいことや自分な素直な気持ちを書き出す

留学時代から数年に渡り使っている、1冊のノート。いつからか内省が趣味となった私が、過去の出来事、そのとき感じた想い、挑戦したいことや将来のこと、自分自身の性格なんかを自由に時々綴っている場所。何かヒントを見つけようと最近このノートを見返して気付いた(思い出した)ことは、2年以上も前から「中国」「中国語」の文字が頻繁に出てくるようになっていたことだった。

 

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行き当たりばったりで計画性ゼロな自分が以前こういうものを書いていたこと、さらに「26歳の自分は中国で働いていたい、簡単な中国語スキルを身につけていたい」と考えていたことに若干驚きつつ(ほぼ実現してる)、やっぱり数年後のキャリアなんて予想がつかなすぎて書けなかったのも自分らしい。

ブログを書くより何倍も恥ずかしいけど、自分への戒めとして載っけてみるものの、ところどころツッコミたくなる箇所があるのはご愛嬌。とにかく、こういう想いや考えを整理して、書き出すことは意識を強めるために大事なので、忙しいとか余裕が無いとかで怠らないようにしたい。

 

 

2. 意識を変えるのではなく、行動を変える

刺激的な話を他者から聞いた後や、誰かのブログ・本を読んだ後に「タメになったー!!なんか変われそう」と思いがちだけど、思考や意識が変わっても、実際の行動が変わらないと何も変わらない。ので、

最近取り組み始めたことややりたいけど忙しさにかまけてできていなかったことを挙げてみるついでに、どうやって行動を変えられるかなと考えてみる。

・中国語単語をもっと勉強したい→毎朝の通勤時間にアプリで学習してねアラームをたった今設定した💪

・中国語の投稿やライブ配信を続ける→毎晩投稿してみようアラームを設定、週1でライブ配信しようをカレンダーに追加💪

・今後のことを考えたり頭の中を整理する時間を最近とれていないとりたい→小さいメモ帳とペンを持ち歩いて小さいことから書きはじめた👍

・運動不足すぎてまずい!!→週一で社内バスケ部の活動に参加するようになった💯中国語の勉強にもなって一石二鳥 💮

・自分の思考や近況を共有したり意見を聞きたい→マイペースにツイッターしながら、月1くらいでブログ書く宣言をここで、試しに今度母国語で配信か公開オンラインコールで参加してくれた人とキャッチアップとかやってみよかな💪参加してくれる方います?🙋🏻‍♀️

 

 

3. 新しいことに挑戦している間は、自分に「大丈夫!」と言い聞かせて選んだ道を全力で肯定し続ける

そんなこんなで(雑)、日々理不尽なことが起きて辛いと感じたり、環境に100%適応できなかったり自分の悪いところを知ってしんどかったり、心から信頼できる人や頼れる人が近くにいない中、人生で1番大きな“孤独”を感じ、自分の弱さや焦り・不安と真正面から向き合って、泣いたことも身体を壊したこともある。

そんなときには、自分を落ち着かせるために「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせたり、「本当に今の道で良かったんだろうか?」「今ここにいるのは正解なのか?今後の自分にとって良い選択なのか?」と不安に思うときは、「こんな貴重な経験、できてラッキーだな」とか、「これは果たしてどうなんだ?という問いが自然と生じてくれる環境は思考停止しないから悪くないな」と思うようになった。

 

毎日先のことを考えて不安になったり、今の努力が次にどう繋がっていくのか正直全然分かんないけど、「自分がベストだと思って選択した道は全てベスト」と思えれば、目の前のことをよりよくしていける=次の道がいつか拓けると信じてる

 

日々の忙しさを言い訳にしたり、あらゆる雑音に自分の想いがかき消されてしまって、「何がしたいのかな〜分からないなぁ〜、でもなんとなく今のままの自分じゃダメだなぁ」と思うことも多々あるけど、本当はきっと心の奥では何が大事で何をしたいか分かっていて、その想いに気付けるか、向き合えるか、小さな変化や行動をどれだけ積み重ねていけるかが重要だな、と思うようになってきた。

 

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ただただアイキャッチ画像を変えたい一心で1年前の写真をこのタイミングで挿入してみた



 

この1年間は、(自分が圧倒的マイノリティなので比較対象が周りにいなすぎて)自分の癖でもある他人と比べることが減り、自分の立ち位置や成長速度・変化が全く分からなくなってしまった。けど、同時により自分のペースで興味のあることに取り組もうと思えることになったり、誰かに頼らないと常に不安定だった豆腐みたいなメンタルの自分が少しだけ強くなれたこと、孤独とストレスの中で自分の根本的な強み・弱み・好きなことなんかがちょっとずつ分かってきた、そんな気がしてる。

 

最後に、今の環境と比較した時に、1年前までの自分がいかに恵まれていたかを実感したファクトをメモとして置いておこうと思う。こういうのは離れてからしか気付けないからこそ、こんな環境や人は大事にした方が良いし、この先の指針にしたいなという思いを込めて。

 

・心を許せる人や励まし合える仲間が近くにいること

・ものすごいエネルギーや刺激を与えてくれる変わった人たちに常に囲まれていること

・無理せず自分らしくいられる居心地の良いコミュニティがあること

・言語が問題無く通じること

・仕事を進める中で頼れる人がいること

・ただの部下ではなく1人の人間としての成長を見守ってくれる上司がいること

・不満があっても現状を変えられること

・意見を取り入れてもらえること、考えを尊重してもらえること

 

 

明日からもサバイブするぞ

 

おわり

 

「できない」への挑戦と弱い自分との対峙 - 私が深センの教育ベンチャーで働く理由

"If you feel too comfortable, it means that you never change. It's actually good that you struggle and feel frustrated so that you can grow more and faster."

 

中国深センで働き始めてから、2ヶ月が経過した。一昨日、“試用期間”を終えた私は、この間何をしてきたのか、今後何をしていくのかについて、所属するアジアチームのマネージャー(上司)や日本の営業担当、マーケティングチームの同僚、人事の前でプレゼンする機会があった。

その直後、悔しさとこれまでのフラストレーションが一気に溢れ出て、様子がおかしかった私を心配して、翌日上司が声を掛けてくれたときに、冒頭の言葉を言ってもらった。

 

正直、バックパッカーとして深センに来てこの地の雰囲気を気に入り、前職の人脈を辿り知り合いをつくり就職先を探した私にとって、今ここで働いていることは半年前、1年前には全く想定していなかった。何なら、「心が惹かれているから」ただそれだけの理由でこの地に移り住むことを決めたので、「そもそも何で深センに来たのか?何で教育分野なのか?」をなかなか言語化できないでいた。

時間が経つにつれて、自分でも少しずつ腑に落ちる瞬間があったり、それらの理由が分かってきて(若干後付けでもある)、ビザ関連の手続きが少し落ち着きようやく合法的にここに住む、働くことが確定したので、これまでを振り返りながら頭の中を整理してみようと思う。

 

これまでの2ヶ月間を振り返る

私が勤めるMakeblockは、STEM教育の教材やロボット、ソフトウェアを提供している会社で、現在設立から5年、過去2年間で従業員が100人から500人に増えたという急成長中のベンチャーだ。

 

深セン本社に400人前後の社員がいる中、スウェーデン人のマーケターに次いで2人目の外国人として働いている(会社にとって、割と私の採用はお試しだったようで、今後アジアの各地域でも外国人採用を進めていくとか)。当然社内の公用語が中国語の中に、中国での留学経験も無い私がアジアチーム、とりわけ日本のマーケティング担当としてジョインしたので、アジア/マーケティング/デザイン/プロダクトチームとは英語で、日本チーム(私以外に営業担当、技術支援担当、営業アシスタントのインターン生がいる)とは日本語で、なんとか毎日乗り切っている。

 

そんな環境の中、日々めげそうになる気持ちを前向きに保ちながら取り組んできたことは、

・Webサイトの日本語化

・ソフトウェア/パッケージ/説明書のローカライズ

・製品モニター&レビューのキャンペーン実施

・日本市場諸々のリサーチ、今後の展開の提案

・ブログの立ち上げ、日本語と英語で記事作成/投稿

SNSの運営

・日本企業/議員/政府関係者/記者の訪問対応

・企業/教育委員会への営業同行

・日本語の採用ページの作成

深セン発、STEM教育ベンチャーの日本展開を支える営業マネージャー募集! - Makeblock Japanのセールス中途・契約・委託の求人 - Wantedly

Makeblockの求人 | Indeed (インディード)

※日本語ネイティブの営業マネージャー大大大募集中です!!!!!

等々。唯一の日本人なので、表に出すものの最終チェックや営業、現地採用などについて頼まれることが多く全て引き受けていたら、結局いろんなものに手をつけすぎてどれも中途半端になってしまうくせに頭がパンクしそうになったり、かつやっていることがバラバラすぎて誰からも評価されない、という負のスパイラルに陥っていた。

 

だから、冒頭のプレゼンに対するフィードバックで「何にでもYESと言いすぎ」「結局Mamiの中で優先順位が高いと思うものは何なの?」「もっとフォーカスすべき」等々散々言われた後には、悔しくてやるせなくて終業と同時にオフィスを飛び出して号泣してしまった(デフォルトが泣き虫なので、昔と比べるとこれまで逆によく泣かずにやってきたな、とも思ったり)。

 

急成長しすぎた会社あるあるなのか、チーム同士の連携が上手くとれていなかったり、チームそもそもの構造に変なところがあったり、会社として、各チームとしての戦略・計画・向かっている方向なんかが見えなかったり食い違ったり、むちゃくちゃ大変だなと思いつつも、なかなか面白がっている自分もいる

 

中国人特有の考え方や、言語や文化の違いも日々感じて考えさせられるなぁと思うこともあれば、そんな中、中国企業として日本展開をしていくことへの諸々のチャレンジを感じることもある。たぶん長くなるのでそれらについてはまた別の機会に。

 

結局何でここにいるのか

じゃあ、何で今ここにいるのか?を改めて考えると、大きいものだけでも4つくらいある(小さい理由はもっと挙げられるのと、なぜ深センがそんなに魅力的なのかについてはバックパック時に書いた英語ブログを置いとく。Why Shenzhen? Reasons why I decided to stay here longer

 

1. 教育分野のどこにどう貢献できるのか・携わりたいのかを知りたかった

2. 中国、その中でも急激に成長・変化している深センで自分がどうフィットするのか見たかった

3. 「何者でも無い自分」が、どれだけ挑戦できるのか試してみたかった

4. 「やってみたい」けど「できない」と思っていることにこそ挑戦したかった

 

1. 教育分野のどこにどう貢献できるのか・携わりたいのかを知りたかった

小学校から大学まで、地元群馬の公教育しか受けたことの無い自分にとって、アメリカでの留学はとても衝撃的だったし、教職免許取得のために母校の高校で教育実習をしたときの自分の無力さや課題観は今でも鮮明に覚えている。これまで教育に関するベンチャーNPO、スタートアップ支援を経て、やっぱりもう一度教育の分野に向き合って、今の、今後の自分が、特に国内外の教育に対して何ができるのか、何をしたいのかを探りたいと思っている。

 

2. 中国、その中でも特に急激に成長・変化している深センに自分がどうフィットするのか、ついていけるのかを試したかった

それなのに、日本ではなく、留学や前職で縁があったアメリカでもフィンランドでもなく、中国を選んだ理由はいくつかあるが、1番大きかったのは「確実に次の世界の中心・リーダーになる」と自分が身をもって感じた場所とそこにいる人たち、文化や言語、教育環境を知る必要があると無意識下で強く感じたからだ。中でも就職先に現地企業を選んだのは、その中で自分が彼らからどう受け入れられ、かつその中で自分がどんなことをできるのか試したいと思ったから。

※ちなみに結構質問されるけど、私の肌感では台湾と同じくらいに親日だったり、めちゃくちゃ優しかったりフレンドリーで、面倒見の良い方が中国には多いです。偏見ヨクナイ!

 

3. 「何者でも無い自分」が、どれだけ挑戦できるのか試してみたかった

前職を辞め東京を離れ「何者でも無くなった」とき、「組織の名前で自分が評価されること」に慣れてしまうことや、「自分が心地良いと感じる環境にいたいと思うこと」が、いかに恐いことかを思い知った。と同時に、自分がいかに他者依存の性格か、いかにこれまでの環境やご縁に恵まれ、そこに甘えてきたかということに薄々気づき始めてた。「無」の時間を5ヶ月経て思ったのは、誰も知り合いがいない場所で、簡単には甘えられない環境で、「ただの26歳の日本人」として何ができるのかを試したい、ということだった。

とは言え、最近では前職や前々職のご縁を辿り繋がり生まれる出会いもあるので、偶然のご縁の巡り合わせには谢谢です🙏

 

4. 「やってみたい」けど「できない」と思っていることにこそ挑戦したかった

深センに来て1週間が経ったとき、「ここにもっと長くいたい、ビザ取得の道を探さないと」と無計画に思った私を応援してくれる人もいれば、「中国語が話せないなら中国での就職は無理だよ」「まずは学校に通って学生ビザをとった方が良いよ」「香港かシンガポールなら仕事の紹介できるよ」と言われたことも多々あった。

全部真っ当だけど、頑固な私は「やってみないと分かんないし」とか、「できない」と思うことにこそ挑戦する価値があるんじゃん!と生意気に思っていた。し、見切り発車なりに実際に動いてきて、こうして振り返ってみると、改めてこの道を選んで良かったと感じるし、ここから繋がる次のチャンスや挑戦をさらに探り続けたいと思ったりする。

 

 

という感じで、あえてチャレンジングな場所・環境を選んできた結果今ここにいるものの、当然普段仕事でも精神的にも孤独を感じたり辛かったり落ち込むことは腐るほどあるので、その思いを綴りながらも気持ちはあえてポジティブに書いてみた!

 

また教育分野に携わるようになって、以前より増して「押し付けではなく、本人が勝手にワクワクしてしまう、興味を持てるコンテンツ」はどうやったら作れるのか、「自分に自信が無い人や、何かに挑戦したいと思ったとき、それができないと思う人」をいかに励まし支援できるのか、等のトピックにすごく関心が出てきたので、人目なんか気にせず、自分自身の興味の矛先、葛藤や弱い部分も引き続きどんどん出していこうかなと思ったり。

 

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入社して5日目に開催された全社イベントで、アジアチームのメンバーと。「Stay Childlike」って個人的にとても好きなコピー

 

いつも通りまとまりは無いけど、久々に吐き出せてすっきりしたのでここまでで。

居留許可がおりたので、ひとまず来年10月末までは深セン拠点の予定。予定は未定だけどね。

 

 

おわり

 

5ヶ月間のニート生活を終えて中国のベンチャーで働き始めた今思うこと(雑感)

「1.面白そうだと思ったことには真っ先に飛びつく。2.今までやらずに後悔していることを、真っ先にやる。これらの行動規範を実践している時には、”世界で一番自分に甘くあれ”」

 5月。仕事を辞めて少し経った頃、前職でお世話になっていた起業家の方がこんなメッセージをくださった。

その方も自分の会社を立ち上げる前、悩んだ末に次の道を決めずに超有名優良企業を自主退社されたそうで、でもその期間に経験されたことが今に繋がっているから、応援しているよ、と励ましの言葉を添えて。

 

実はこの時点で、あえて何も決めずに無職のまま東京を飛び出したものの時間が経つにつれ不安になったり、しばらく環境を変えようと考えていたものの、ふとSNSを見て他者と自分を比較して焦ったりもした。だからこそ、こんな風に時間を割いてこの言葉を送ってくださった優しさがとても有り難かった。

 

5ヶ月間。

長いようであっという間だったニート生活を経て、今月から中国深センに本社を置くSTEM教育用ロボットをつくるベンチャーMakeblock」で働き始めた。この決断にたどり着くまで紆余曲折ありすごく悩んだが、この起業家の方をはじめ気にかけてくださったり相談に乗ってくれ支えてくれた方々や友人がいたので、感謝の気持ちと暫定での再就職の報告の意味も込めて、このブログを書くことにした。

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今日の夕焼けが綺麗だった@深セン

(放浪中に密かに綴っていたぐんまみブログは、情弱すぎてWPにログインできなくなってしまったのでいったんはてなブログに戻ります。汗)

 

自分以外の何かに期待しているうちは何も変わらない

東京を離れた後、心が惹かれるままに行き先を決め、会いたい人に会いに行った。それは、◯◯に行けば何かが変わる、◯◯に会えば自分の道が拓ける、と無意識に考えていたからだったと思う。

ただ、そこで気付いたのは、「仕事を辞めて旅に出たからといって、海外にいるからといって、人に会いに行ったからといって、結局自分は何も変わらない」という事実だった。

 

“『何かに期待している限り、現実を変えることはできない』
『もし自分が変われるとしたら、行動して、経験した時や。そん時だけやで』”

 

「私はこれまでの人生の中で、そういう自分以外の誰かや、環境や周囲の何かに期待をして甘えて生きてきたんじゃないか。」

夢をかなえるゾウのこの一節を読んだ時、ふとこんなことを思った。

 

 

あえて自分で決めてつくった、自由に使える貴重な時間。 

それからは、どんなに小さくても自分がやりたいと思っていたことを試してみた。

日本の片田舎で農作業を手伝ったり、念願の台湾一周をしてみたり、その中でご縁のあった田舎町のホステルで住み込みでお手伝いをしてみたり、時にはインドネシアのバーで人前で歌を歌ったり、ナレーターの仕事に応募してみたり、時には旅の途中で出会う人に日本語や英語を教えたり中国語を教えてもらったり、読みたかった本を読んで感じたことをまとめたりこれまでの人生を振り返ってみたり。深センに来て、現地のイベント運営を手伝ってみたり、人のつてを頼りに頼って創業間もないスタートアップで働かせてもらったり。

 

当然、偶然が重なって運良く繋がったご縁もたくさんあったし、時には言語や文化、物事への考え方の違いの壁にぶち当たって悩んだりもしたけど、「自分がこれまでやりたかったこと」を片っ端からやっていく中で、新たなチャンスが降ってきたり、自分が好きな環境、興味のあること、今後自分の時間を捧げたいと思えることが次第に見えてきたと思う

 

そんな中で、さらに気付いたこともあった。

 

自分の最も弱い部分と向き合って気付いた、強みを発揮する方法

台湾で、念願だったホステル運営のお手伝いをした時、いつかこういう場を自分でつくりたいなと思ったし、創業間もないスタートアップで働かせてもらった時には、生意気に自分だったら働き方や組織づくりはこうしたいな、と感じたりもした。

一方で、新しく自分でメディアを始めようとした時(実際に始めたけど即頓挫)は、いかに自分1人じゃ何もできないか、という事実に驚愕した。そこで、改めて自分の無力さを思い知ったとともに、これまでにないくらいめちゃくちゃ落ち込んだ。

 

同時にこの時、自分がこれまで強みだと自覚していたことが、いかに他者がいることで引き出してもらえていたか、ということも気付いた。

例えば、「明るさ」や「元気」と他者から言われる性格ほど、他者からのエネルギーを得ることでその良さがより発揮されていたり、他者を励ます環境にいられることで、同時に自分も励まされているんだなと気付いたり。チームで協力し合ったり、励ましあったり、頼り合える環境があって初めて、自分の良さや強みは、発揮されるんだということを知った。

 

"Don't look at your weakness. Maximize your strengths."

短い期間だったけど手伝っていたスタートアップの同僚が言ってくれた言葉。

初めて英語でプレスリリースを書いたり、調達側として初めて投資家アタックリストを作ったり、プロダクトのブランディングやコミュニティを提案することは楽しかったけど、最終的にはこの言葉とビジョンへの共感性の欠如をきっかけに別の会社で働こうと決めた。

 

場所よりも、自分にとって新しい挑戦があるか、心から共感できるかどうかが大事

結局、場所に期待するなと言っておいて、日本でも無く、台湾でも無く、中国にこだわったのは自分のただのエゴである。冒頭の言葉通り、自分がやりたいと思っていたことを突き詰めてきた結果、ここに辿り着いたとも言える(半分フィーリング)。

 

とは言え、やっぱり自分は人が熱意を感じることの源、「何をやっているのかではなく、何故それをやっているか」に興味があるし、そういう意味では、人の根幹をつくる教育や価値観、文化、境遇等の違いにめちゃくちゃ関心がある

だから、運良く得られた教育系ベンチャーで働くという機会を通じてそれをもっと知りたいし、自分が異国異文化の中でマイノリティ・受け入れられる立場になることでその違いを受け入れられる人になりたいと思うし、同時に、興味のある分野において今後自分には一体何ができるのか?をもっと追求していきたいなと感じている。

 

 

 

 

 

*最後に、いくら自分で決めたとは言え、慣れない環境、言語、文化の中にいて(とは言え順応してる部分も多い)、正直めちゃくちゃ孤独を感じたり自分の弱さと日々向き合っているので、そんな自分を支えてくれている家族や友人、Slushや500を通じて出会えた方々の存在にめちゃくちゃ感謝しています。

自分が何をやっているかに関係なく、単に「私という存在」自体を肯定して信じてくれたり励ましてくれる人がいるという事実がものすごく有り難いなと強く感じることもあって、自分も大切な人たちにそうあれる自分でいたいと思う今日この頃。

 

最後まで読んでいただき謝謝!(ビザが問題なければ)1年間は滞在できるので、最低でも1年は中国で頑張ってみようかなと思っています(予定は未定)。

 

おわり

お世話になった500のコミュニティを離れるという決断

「僕が起業した時は起業家仲間がいなかったから、500ではそういうコミュニティを作りたいんだよね」

 

インターンとして500に入った一昨年の夏、上司のJamesから言われた言葉。自身の原体験をもとに、投資家と起業家では理解し合えない部分もあると言い、投資家として、応援する起業家のためにコミュニティを作りたいという想いに惹かれた。その共感が、今日まで私の頑張る源だった。

 

 

そんな自分が、なぜ500を辞めるのか。お世話になったごく一部の人にしかお伝えできずに今日まで来てしまったので、ここに自分の気持ちの整理としても書き残そうと思う。

 

 

何故辞めるのか?の前に、何故500に入ったのか?

インターンを始めた頃の私は、そもそも

ベンチャーキャピタル自体に興味は無かった。

 

では、何故そこに関心が無かった自分が500に惹かれたかというと、

・創業期のスタートアップで働くことに興味があるものの、何の基準でどの会社を選べば良いか分からない

・当時スタートアップと同じく興味のあったNPOや社団法人を継続させるために、熱意だけではなくビジネスとファイナンスが大事なのではないかと気付き始めていた

・自分自身や社会の課題と向き合い、その解決のために己の時間と命、人生をかけている起業家に強い関心があった

 

それからもう1つ、純粋に

・直感で500のカルチャーに惹かれた

mamihigashino.hatenablog.com

からだった。

 

蓋を開けてみると、ファンドが立ち上がって半年後(当時は出来たばかりの大手町のオフィスに、パートナー2人とマーケティングインターン1人が時々出入りするだけの“チーム”だった)にジョインした私は

 

・(米500 Startupsの血を引く日本ファンドであるため)ビジョンや目指す方向性は明確だけれど、500 Startups Japanという組織自体の文化や仕組みがまだ形成されていないこと

に軽い衝撃を受けた上で、

・ゼロから「起業家同士のコミュニティをつくる」 という使命と向き合い始めた。

 

とは言え、VCのことはおろか起業家、スタートアップについてもほぼ無知だった自分は、そもそも社内で交わされるやり取りや起業家同士の会話についていけず、目の前に起こっている状況を飲み込み理解していくこともやっとだった。

 

ただ、困難に直面するととことん落ち込み、その後少ししてから、持ち前の負けず嫌いな部分としぶとさで挽回する特性を持つ私にとって、そんな環境はぴったりだったし、何よりも、Slushに引き続き、散らばっている綺麗なパズルのピースのように個々が強い組織の立ち上げ、組織の雰囲気づくりにまさに貢献できる経験は、とても貴重でワクワクしていた。

 

ならば、いつから辞めることを意識していたのか?

と聞かれると少し考えてしまうが、短く答えると「最初から」である。

冷たく聞こえるかもしれないが、もともとVCや投資に興味があったわけではないので、初めて今の上司に出会った面接時にもこれを素直に伝えたし、イベントで上司たちの目の前で自己紹介をする時にも、「起業家やスタートアップに強い関心があり今ここにいるので、いつかは失敗しても良いから自分で何かに挑戦したい」と言い続けていた。

 

だからこそ、「いつまで自分は 500にいるのか?」と日々自分に問いかけてきたし、今ここでできることは最大限やろう!という気合いで何事にも取り組んだ

 

コミュニティづくりは、自分自身に知識や経験が無くたってできる、という事実に気付いてからは

mamihigashino.hatenablog.com

 

起業家向けの勉強会を開いてノウハウ共有の場をつくり、対面で悩みを聞かせてもらいまた別の学びの場づくりに繋げ、カジュアルな場を設けて投資先の創業者同士・従業員同士を繋げて彼らが相談し合えるような雰囲気をつくったり、時に採用のために会社の文化に合いそうな転職希望者を紹介したり、投資先で働いているチームメンバーを取材させてもらったり、時に投資に繋げるために初対面の起業家に会いに行ったりもした。

 

(「起業家のコミュニティ」はふわっとしていて正直実態が無いので、成果を数値的に測ることが難しく悩ましかった。が、毎月2~4回ペースでイベント・勉強会を開催してきたので、この2年弱での総開催数は相当な気がしている。昨夏から本腰を入れ始めた投資先の採用サポートは、直接の紹介や採用イベントを通じて2人のインターンを含めた計10人の採用(NO FEE!)に関わった。投資に関しては、開催したイベントから出資に繋がったことと、自分の紹介した会社への出資が決まったことが実際に目に見える功績。あとは、最後の仕事として上司2人を取材した記事が個人的には超傑作なので、たくさんの人に読んでもらえたら嬉しいな)

 

500startups.jp

 

 

では何故、今このタイミングで500を辞めるのか?

「スタートアップ面白そう」「起業家に興味がある」と純粋に思っていた私にとって、これほど興味があることを自由にいくつも選択させてもらえて、かつ挑戦させてもらえるエキサイティングな環境は他に無かったと思う。

 

ただ、どんなにやることやできることが増えて幅広くなっていっても、それらが偶然によるものなのか自分のスキルに繋がるものなのか分からず、もどかしい思いを感じたりもしていた。加えて、強いビジョンや想いを抱え挑戦している上司や同僚、周囲の起業家と比べがちになり、「じゃあ自分は一体何を極め何がしたいのか?自分の時間を使って、誰にどんな影響を与えたいのか?この人たちのように、自分が絶対に代替されないものは何か?」と考えると、どんどん自分に自信が持てなくなる一方で、自分が所属する組織の知名度ばかりが高くなっていく焦りのような感覚も拭えなかった

 

ここであえて単刀直入に言うと、初期から掲げていた「投資先の起業家のコミュニティをつくること」に必死で向き合っているうちに、気付かぬ間にその目標が達成されてしまっていることに気付き始めた瞬間でもあった。それは、投資先の創業者同士が相談し合う場面や楽しそうに笑い合う姿を見るだけでなく、彼らが私たちのいない場で「500Family飲み会」なる会を開いていたり、「今度のイベントで500Familyの○○社と●●社が・・」という話を聞くことでも実感し始めていた。

 

そしてさらに言うと、そのコミュニティを今後いかに維持し、活性化させ、伸ばし成長させていくのかというフェーズに入りつつあることにも無意識に感じていた。だからこそ、物事の立ち上げが好きな反面、整備や継続・改善させていくことが苦手な自分の役目は終わり、これからはその部分を得意とする人にバトンタッチした方が良いんじゃないかと勝手に考え始めていた。

 

 

では逆に、何故この決断ができたか?

という想いもまとめておきたいと思う。

 

上司のJamesには、最後まで「マミは本当にフライングでニートだね!」と言われたが、何だかんだ私自身も「次の道が確実に決めるまでは500にいるだろう」と無意識に思っていた時期はあった。

 

最終的に何故、転職先も決めず、明確な予定も決めず、収入源も確保せずにただ仕事を辞めるかと言うと、

 

・自分に、目の前のことにしか120%のパワーを捧げない不器用さがあると気付けたこと。だからこそ明日以降は、自分が今後の人生を何に使いたいかを考えることに120%のパワーを注ごうと思う。

・Slushでの活動と、500で働いた期間を合わせるとちょうど3年になること。特に、「東京」「スタートアップ」「国内」という文脈では共通しているので、自分の中では、ここで社会人1.0の幕が閉じる感覚でいる。

・しばらくの間は、働かなくても大丈夫な資金を準備していたこと。もともと起業や何かしらで挑戦したいと思っていたので、毎月のバーンレートを低くしてお金は大事にしてきたつもり(そもそも食欲以外の物欲が少ないしお酒を飲めない体質なのもある)。

・最近結婚した兄の奥さんが、自分と同い年の芯の強い女性だということ。事実自体は特に衝撃的では無いものの、結婚願望のある自分に今もし仮に「結婚しよう」と言ってくれる相手が突然現れたとしたら(イメトレという名の妄想)、私は何を後悔するのか?と考えた。

・現時点でスキルもプライドも、守らなければならないモノや人も無いこと。「自分には何も無い」という意識が逆に追い風になったことと、幸いにも家族が皆健康で元気で、かつ背中を押してくれる偉大な存在だということは大きい。

・居心地が良い場所にいて、何でも得られる守ってもらえる環境にずっと甘えていてはダメだと気付いてしまったこと。500で働くことは、もちろん大変で辛いこともたくさんあったけれど、それ以上に、こんな自分でも毎月のお給料が保障されていて、普通の自分では絶対に知ることも無いことを学べたり接点すら持てないような人と繋がれる環境は、数々の起業家に会う中で「このままではダメだ」と感じ続けていた。

 

 

そして最後に、

・例え今離れても、ずっと関わっていきたいと思えるコミュニティになっていて、ずっと応援していきたいと思える人・会社にたくさん出会えたなぁという事実に気付けたこと。

今日500を辞めたとしても、明日もし資金調達中の素敵な起業家に出会ったら、間違いなく500をオススメするし、紹介したいって思う。それに、転職中でスタートアップに興味を持つ人に出会ったら、これまで親しくしてもらった企業に紹介するだろうなって思う。

 

上司のJamesに1月末に退職相談をする前、ギリギリまで散々悩んだ結果、最後に自分の背中を押してくれたのはこの事実だった。

 

だから、私は自分が1番お世話になった500 Startups Japanのコミュニティを離れるという決断をした。

 

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次の挑戦は全く決まっていないけれど、しばらく無の期間を設けて(フライングでニート)自分と向き合うことに120%のパワーを注げようと思う。アメリカ留学から帰国した3年前に、漠然と「台湾・中国に行きたい」とよく言っていたので、行ってみようかなと思ったり。

 

最近気付いたこと。案外他人は他人のことを気にしていないから、心配も期待もはね退けて、自分の視野を広くして、可能性も狭めないで、自分の心が本当にやりたいと感じることを観察して、少しずつ何かを始めていこうと思う。

 

 

最後に、今日までに直接ご挨拶させていただけていない皆さんと(直接でなく、かつご報告が遅れ申し訳ございません)、「500のコミュニティマネージャー」として出会い、たくさんのことを教えていただいた上司、同僚をはじめ、起業家、スタートアップで働く人やスタートアップのコミュニティを支援し活動されている方々全員に、この場を借りてお礼を言わせてください。

1年9ヶ月という短い期間でしたが、本当にお世話になりました。そして、東野万美としても、今後ともよろしくお願いいたします。

 

"One door closes, another door opens."

 

(完)

 

時間は過去から未来に流れるのではなく、未来から現在、過去へと流れているという考え方

「どんな自分も受け止めて、好きになる」

 

最後に、今日のまとめや感想を一言で表してください。と言われて、自然と口から出た言葉。

 

トーキングサークルという、対話型のワークショップに参加してきた。

親友が過去に参加した話を聞いて以来ずっと興味を持っていて、彼女と自分の共通の友人が主催してくれるというので、今日の初参加に至った。

 

トーキングサークル(ピースメイキングサークル)とは、カナダ(北米)の先住民が争いごとを解決するために生まれた対話法だとか。

正式な方法を説明できるほど私も詳しく知らないので、興味がある方はこちらを。

travel-peace.hatenablog.com

 

 

国籍や生まれ、生い立ちも全く異なる初対面の5人が集まって、「あなたは誰ですか。」という質問から始まり、これまでの人生で感じたこと、◯◯だった瞬間、大事にしている価値観、今後やっていきたいこと等について話す会となった(会やトピックによって多少変わるそうだが、今回は時期的に昨年の振り返りと今年のことについてがメインだった。数時間だけでも若干疲れるが、通常は1日とか3日間単位で行うらしい・・余談)。

せっかくなので、そこで発言したこと、考えたこと、他参加者の話を聞いて感じたこと、直近数ヶ月の心情の変化や出来事を振り返って思うこと等をメモとして残そうと思う。

 

1. 精神的に落ち込み、存在意義を問うてきた数ヶ月

「私がやりたいことは何だろう、影響を与えたい人・ものは何だ」

 

日々接する会社の人や起業家・経営者たちが、「自分は◯◯において課題を感じるから、◯◯を解決したい。◯◯を変えたい」とはっきり言う姿を見る度に、素直にかっこいいなと感じ尊敬の念を抱いてきたし、自分にできることで彼らを応援したいといつも思っていた。

そんな中、じゃあ、私がやりたいことは?誰に何を与えて、何を変えられる人になりたいの?と考えると、「これだ!」と思えるものがなかなか見つからず、その度に情けなく思っていた。アイデンティティクライシスか?と思うほど、人に会いたいと思えない時期が続いたり、自分という存在に疑問を感じたり自信が持てなくなって辛い思いもした。

 

別に人の存在価値が「想い」や「志」「取り組んでいること」で左右されると言いたいわけではないが、そういった人々が放つエネルギーや周囲を魅了し巻き込む引力、他者へ与える影響力を考えた時に、自分にはそれらが何にもないような気がしてしまって、変に焦っていた。

 

焦ったところで行動しないと何も変わらないので、私のこの悩みは数ヶ月間今日までなかなか晴れることが無かったわけだが・・

自分の存在価値を自分で否定しまってとことん落ち込む度に、あぁ、この間までは人生楽しい思いで過ごしていたのに、こう、簡単に気持ちが落ちるんだな。鬱とまで言わないけど、人間がこういう精神状態に陥ることって、ちょっとしたきっかけなんだな、普段の普通の生活と本当に紙一重なんだな、なんて思うことさえあった。

 

2. そんな中でも、自分にとってしっくりくる「何か」があったからこそ気づいた、落差

「2017年で一番達成感をもったのはどんなときですか。」「自分らしさを発揮できたと思ったのは、どんなときですか。」という質問をトーキングサークルでされたときに浮かんだこと。

 

あえて具体例は出さないが、こんな負のサイクルの中にいても私なりの達成感や、他者に認められた瞬間、楽しいと思える瞬間はいくつもあった。だからこそ、落ち込む時はとことん落ちるのかなぁと(多分、これについてはしっかり思い返す時間を別途つくらないといけないと思う)、その落差を大きく感じすぎてしまったのかなと今になって思う。

 

 

特に、自分でも薄々感じていて、仲良い人たちに言われて最近さらに自覚したことは、自分がHSP※であり、自己評価や自己肯定感が著しく低いということ。(こう見えて)他人の目や他人がどう自分を見るかをすごく気にしているということ。だからこそ、他人からの評価や他人に自分が認められるかという点をものすごく気にしていること。

さらに悪いことに、たまにしか会わない人に「いつも元気そうだよね」「楽しそうだよね」と言われる度に、あっ、あの時みたいに元気でいなくちゃ。こんな自分は自分らしくないんだ。という、他者が期待する・私らしいと思う自分にいかに近づけるか、を気にし過ぎて疲れる場面もここ数ヶ月の間に多くあった。

 

HSP(Highly Sensitive Person)は「高度に感受性の高い人」という一種の特性で(病気ではない)、5人に1人がHSPだと言われています。幼い頃から変に勘が鋭くて予想することがよく当たったり、感情移入が激しかったり異常なほど共感性が高く、場の空気や他人の考えていることが痛いほど察せてしまえて、時には他人の感情を自分も受け取りすぎて息苦しい思いをしたり、1つ1つの動作に気を配る一方で作業スピードが遅い、一度に大量のことがこなせずパニックに陥る、などなどに悩んでいたら、これは全部HSPの特徴だということが分かりました。また、親友に言われたり調べていくうちに分かったことなのですが、自分は「刺激追求型」のHSS(High Sensation Seeking)でもある・・と。昨年秋にHSP/HSSについて知った時は大変な衝撃を受けたのですが、それ以降少し自分との向き合い方が変わったので、たまに思い出せるようにいつかこれについてまとめてみようかなと思います。

興味のある方向けに、「これ、私についての本なんじゃないか」って思うくらいびっくりしたHSPについての本を置いておきます。笑

 

 

 

3. 他者に何を与えられるか、の前に、まずは自分を満たす。自己肯定感を高める必要性

「When you smile, and the world smiles with you.」(あなたが笑えば世界も笑う)

 

精神論みたいだけど、ものすごく好きな言葉のひとつ。嫌味や悪口を言われたら自分も嫌な気分になるけど、相手に笑い掛けられたり話し掛けられたら、こっちまで嬉しくなったり感謝したくなることってあると思う。

そこで思うことは、他者に何かを与える、誰かに影響を与える、笑顔で接するということは、そもそも自分が満たされていないと難しい時もあるということ。自分が愛され、満たされて初めてできる他者への還元だということ。

 

そのために、他者が自分をどう思うか云々の前に、自分で自分を褒めたり、認めて、愛することは本当に重要で。自分は存在しているだけで素晴らしいということ、落ち込んでいる弱い自分も怠ける自分もひっくるめて自分であるというゆるしを、自分にあげたいなと思う。それが今の私にとってハードルの高いことでも。

 

 

4. 時間の認識について

長々と書いたが、今日「どんな自分も受け止め、好きになろう」と思えたことで確信したことがある。

 

これまで過去は変えられないと考えていたけれど(もちろん起こった事象は変わらないが)、過去の解釈は認識によって大きく変わる

私がこれまで悩んでいたことや謎に落ち込んで辛い思いをしてきたことも、今や未来の自分から振り返ると、全部「必要だったこと」と見なされるから。

 

未来(因)によって、過去(果)が決まる、と考えたら、どんな失敗(だと思うこと)も、寄り道だと思うことも、全部大事な人生の一部なんだなぁと。これについて、この記事がすごくしっくりくる書き方をしていたので、興味のある方はぜひ。

 

過去は未来によっていくらでも変わります。現象・事実としては変わらないはずなのですが、「観測された過去」と「過去の解釈」が変われば、それは人間にとっては「過去が書き換えられた」のと同じです。

あくまでも、未来が「因」であり、過去は「果」なのです。

 

kuritoritarou.com

 

このように、「未来が過去を決める」という立場を採用する以上、①過去はすべてベストである ②未来の自分は最高の自分である という論理が導き出されます。そして実際、こう考えることのできる人は相当「強い」です。何度失敗しようが「いや、これは未来の自分から見れば最高の結果なんだ」とすぐに立ち直りますし、未来の最高の自分という高い理想を持っているので前進のエネルギーも半端ではありません。断言できますが、孫正義氏や松下幸之助本田宗一郎といった日本の偉大な実業家は間違いなくこの考え方を持っています。 

 

いろんな感情がごちゃごちゃになっていて、若干まだ整理できていないけど、最近ずっと悩んできたことや現時点で思うことを走り書きメモとして残してみた。人様に読まれるにはものすごく稚拙で恥ずかしい文章な気もするけど、人目を気にしすぎる自分に、そう思ってても良いんじゃない?って言えるように。

 

そんなキッカケを与えてくれた、今日のトーキングサークルを経て思うこと。

今年は、というか今後は、自分と向き合う時間をもっとたくさんとって、自分は誰か、何者かを問い続けたい。あと、目の前にいる人や瞬間をもっと大切にして、素直に感じることや想いはきちんと声に出して伝えたい。泣きたいときは泣くし歌いたい時は歌う。あとは、楽しさや幸せを感じる自分、弱い自分も落ち込む自分も、どこかで停止してしまいそうな不安定な自分も「どんな自分も受け止めて、好きになりたい」。

 

おわり 

 

  

 

バリューゼロだったインターンが、500 Startups Japanのコミュニティーマネージャーになるまで

"Thanks again for giving me the opportunity, Mami. I truly love working there!"

 

この頃本腰を入れ始めた投資先の採用支援。その中で、ある投資先企業へのジョインが決まり、働き始めたエンジニアの彼が「この会社は本当にいい人ばかりで仕事が楽しい。紹介してくれてありがとう!」と、何度もこんなことを言ってくれた。

 

 

「コミュニティマネージャーとは何か?

これは、今年4月にインターンからフルタイムに切り替わった際に「タイトルはコミュニティマネージャーで良いかなという上司Jamesのさらりとした提案を聞いた時から

 

・コミュニティマネージャーとは何か

・どんなことをすればコミュニティマネージャーになれるのか

 

と自分の中で感じていた(今も感じている)問いである。その解を探るためいろんな方に相談に乗ってもらう中で、とあるコミュニティスペースの運営者に言われた言葉がヒントとなった。

 

500と言えば、まみちゃん”を思い浮かべる人が増えたり、単純に500のことを好きになってくれる人をどれだけ増やせるかだと思うんよね」

 

なるほど!と思ったものの、自社のコミュニティスペースが無い場合はどうしたものか・・。と考えながら動き続けて数ヶ月が経った今、500にジョインしてからちょうど1年が経過したので、自分がこれに対してどう向き合ってきたか、これまでやってきたこと感じたことを振り返って、学びをまとめてみようと思う。

  

 

学び1. バリューが無いなら場をつくる

もともと「スタートアップでインターンしたいな」とゆるく考えていた私が、1年前のひょんな出会いから運良く500を知り働き始めることになって、最初にぶち当たった壁は

 

・起業の経験が無く、

・事業の経験も無く、ましてや

・資金調達も投資の経験も無く(さらに言うと、当時はベンチャーキャピタルという業界や業態、ベンチャーファイナンス用語についてもほとんど知らなかった)、極め付けには

・社会人経験も無い

 

中で、「どうやって投資先を、起業家を支援するのか」ということだった。

 

他人に言われなくとも、ベンチャーキャピタルに勤める者として”自分にバリューが無い”ことを重々承知していたので、歳上かつ経験豊富な起業家に「こいつは何も分かってない」とあしらわれるのが怖く臆病になっていた私は、軽々しく彼らに話しかけることすらできない・・と落ち込んでいた時期があった。

そこで、確かに知識や経験は無いが、本当に自分は何もできないのか?バリューゼロなのか?と考えた結果、”バリューのある人が集まる場”をつくれば良いんじゃないか、と思考を変えた。

資金調達をしたことのある起業家や、売却経験のある経営者、有名な投資家、PRマーケティング各分野の専門家に来てもらって、経験や知識を共有してもらう、場をアレンジする。そこに集まる人が、人との繋がりや知識など、何かしらの価値を得られる場を生み出せれば、私もバリューゼロでは無くなるんじゃないかと学んだ。

 

ちなみに、サイドプロジェクトとしてAngelBaseを始めた経緯は色々あるが、

・事業をつくる側の気持ちを知りたい

・起業家の気持ちをもっと理解したい

という"自分にバリューが無い"もどかしさをずっと感じていたから、というのも実は大きい。

 

 

学び2. 関係性を築く、聞く、実行する、フィードバックをもらう

 その"自分にバリューが無い"と自覚した経験から、もう1つ学んだことがある。

それは、何かその人・企業のためになりたいと思ったら、その人たちの声を聞く必要があるということだった。そのためには、

 

1. まず仲良くなる・信用してもらう、または最低限話を聞かせてもらう機会をつくる

2. 困っていることや悩みを聞き、教えてもらう

3. 実際に勉強会に落とし込んだり関連する人を紹介したりする。すぐに実行できなくとも記録に残す

4. 実際の行動結果のフィードバックをお願いする

 

いま振り返って書いていると至極当然のことに感じるが、先述のとおり起業家に対し引け目を感じていた私には、この1つ1つを実際にできるようになるまでに、ものすごく時間が掛かった。

し、これは今まさにまだまだ取り組んでいる最中なので、もっといろんなことを試してフィードバックをもらう必要があると感じている。

 

 

学び3. 仕事の幅を広げる、より多様な人に会う

 

インターンの頃から主にやってきたことは

⑴イベント企画・運営

が中心だった。

起業家向けの勉強会、メンタリングセッション、創業者ミートアップ、ランダム飲み会、企業向けセミナー、デモデイ中継イベント、カジュアルミートアップetc. 10人未満~30人、時に50100人規模のイベント企画・運営をコンスタントにやってきた。 

起業家や事業会社、LP向けなど、対象も目的も様々であるが、これに慣れ始めた頃から、Jamesの「もっと、できることを広げていこう」方針のもと、次第に他の2つの役割も増えた。

 

⑵リサーチ・ディールソーシング

⑶投資先の採用支援

 

ひたすら国内外の企業について調べたり、起業家、エンジニア、デザイナー、マーケター職種限らず、紹介やyenta経由で人に会いに行ったり、人を紹介したりと、他ファンドのアソシエイトやHRマネージャーの方々がやっていることを見よう見まねでやっていこうと試行錯誤している。

 

特に、採用支援を始めてから

・ 創業者以外の人がチームの中でどんな役割をしているのか学べる

・各職種(特に自分の周囲に少ないエンジニアやデザイナーなど)の思考性や価値観、仕事の違いについて学べる

ので、起業家・創業者だけでなく、より会社の中のことも想像しながら考えられつつあるような気がしている。これは、事業サイドに興味のある自分にとっては、とても貴重な学びでもある。

 

これから

ということで、最近とある投資先で働き始めた友人が「500のコミュニティ、中に入ってみたら改めてすごいなぁって思ったんよね。#500FAMILY ってただのハッシュタグだと思ってたけど、本当にファミリー感を感じる」と言ってくれたのと、働き始めてちょうど1年が経った節目として、これまでのことを振り返ってみた。

まだまだ、イベント運営にしても採用支援にしても学ぶ必要があることや改善点が大きいものの、「バリューが無い」と落ち込んでいた1年前と比べて、少しは500のことを好きになってくれる人を増やせたかな、500と言えば、上司や同僚だけじゃなくて私”も思い浮かべてくれる人が増えたかな、そうだったら嬉しいな、と思う。

  

加えて、今の私なりの"コミュニティマネージャーとは何か"の解として、

 

それは、500のメンバーや投資先、LP、メンターが集まる場をアレンジすることだったり、彼らが良いコミュニティだなと思えるような雰囲気をつくることだったり、起業家や投資家問わず、純粋に誰に対しても500のことや500に関係する人や企業を信頼してもらえたり良い印象を感じてもらうことなのかな、、と、エンジニアの彼が「この会社で働けて嬉しいよ!」言ってくれた時に、ふと思った。

 

 

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 <先月開催した、投資先や知り合いの起業家・会社のメンバー・家族、LP、メンターetc.の皆さんとのBBQ>

 

 明日から #500KOBE が始まるので、やっと”コミュニティースペースがある場所で”コミュニティ運営に携われるのが楽しみ!

 

追伸: 500 Startups Japanや、その投資先のスタートアップに興味のある方は、お気軽にご連絡ください!