朝、ベッドから起き上がる理由

今日はあなたの命日であり、誕生日です。

 

 

死の体験旅行というものに参加してきた。この一瞬理解不能な言葉は、そこで言われた一言である。

1年以上前からこのワークショップの存在は知っていたものの、タイミングが合わず(というか忘れかけていた)、色々なご縁が重なり、今回初めて参加してきた。

 

死の体験旅行とは、名前の通り、”死を体験する”ワークショップです。ご興味のある方は、上のリンク先か、こちらの方の体験談もご一読ください。(宗教・宗派に関係なくご参加いただけます。本気で参加に興味のある方は、衝撃や共感が薄れる可能性があるのであまり読まないほうがいいかもしれません)

http://melt-myself.com/experience-travel-of-death20160628

 

 

簡単に言うと、単なる物語の中で「自分が死ぬ」という疑似体験をすることなのだが、これが結構、いやかなり、辛く、苦しく、悔しく、号泣するほど悲しくなったりする(私は涙と鼻水をこらえきれぬほど泣いた)。

 

私は普段から「何故生きているのか」「何故この時代にこの国に生まれたのか」「何故女性として、私という人として生まれたのか」ということを無限ループで考えたりするのだが(たまにクソ真面目すぎると引かれる)、空想の中で「死ぬ」ということを初めて受け入れてみた今、愛や希望、今まで・これからの人生について、思ったことを率直に綴ってみようと思う(※基本的に内容は暗めです)。

 

 

「死」というテーマについて、これまでの人生で2度、主体的に直面したことがある(ここで、あえて”主体的に”と表現するのは、親族や大切に思っていた人の”突然の死”は、確かに辛く悲しい経験ではあったものの、”自分が死ぬ”ことに直結するものではなかったから。つまり、自分で「死にたい」と思ったことがある、という意味で"主体的に"を使っている)。

 

自分が大切に思っている人や家族がこの文章を目にする可能性はあるものの、私がこれまで生きてきて感じたことや、たった今頭の中にあることを率直に書きます。気を悪くされる方がいたらごめんなさい。

 

 

1回は、今年のはじめ。多方面において、それまで感じたことのないようなプレッシャーとストレスを抱えきれなくなり、自分を否定し、自分の弱さを責め、さらには恵まれているはずの境遇を恨み、生きている価値や意味が一切分からなくなってしまった時があった。その頃は、数ヶ月間若干の鬱状態で、身体を壊して1週間の入院生活を余儀なくされた時には心底安心したし、さらに言うと、退院して元の生活に戻ってからは、「どうしたらもう一度病院に戻れるのか」「どうしたら苦しみから解き放たれるのか」ということを四六時中考えていた。酷い時には駅のホームに立っている時・歩道を歩いてる時に良からぬことを考えてしまうほど、”楽しさ”や”希望”というものがほとんど何も感じられなくて、その想いを心から信頼している人にだけ打ち明けることで、生きるという気力をなんとか保ったりしていた。

 

 

もう1回は、年齢も覚えていない頃に遡る。どういう訳か、不自由なく健康に生まれて、4人兄弟の末っ子で憎まれ可愛がられながらすくすくと育ったにもかかわらず、物心がついた頃には、「何故自分はこの家に生まれたのか」「何故私は生まれてしまったのか」という問いを自分自身に問い続けていた(あえて断っておくが、「お前なんて生まれなければ」というドラマのようなことを言われたり体現されたことは一度もない)。一度、その感情が爆発して、家族の前で包丁を自分に突きつけたことさえあった程だが、今でもあれは割と本気だったな、と思うと同時に、その頃の幼く寂しかった自分を強く抱き締めてあげたくなったりする(当たり前だけど、こんなにひん曲がった子供の奇行を止めてくれた家族に感謝)。

 

 

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だからかもしれない。私は小さい頃から自分の出生に強い想いを持っているからこそ、最近は、「この家族の一員として、私として生まれた意味は何だろう」とよく考えたりするのは。

もちろん、考えたって答えは出ないが、どちらかと言うと、”答えを自分で作り出そう”としていると思う(ちなみに、一周回って、現在家族との関係は当時と比べると超がつくほど良好で、それぞれとても信頼しているしブラコンシスコンマザコンファザコンなんじゃないかレベルで好き。この地、家、両親の元に生まれてラッキーだったし本当に良かったと心底思っているのでご安心を)。

 

 

こういう思い出は、今でも多少の辛さと苦しさを伴うが、物語の中とはいえ、一度死んだ今の私だから思うことは、

・精神や心を病んでしまうことも身体のどこかの具合が悪くなることも、明るく元気に希望に満ち幸せに健康に過ごせることも、すべて紙一重で、いつでも簡単に一線を超え得るということ

・今まで何度だって死ねてしまえる機会や命の危険に晒されたことはあったはずだけれど、私は運良く生かされてきたということ

・生かされているからこそ、「何かを還元したい・しなければいけない」という想いが心の奥底にいつも転がっていて、いわゆる”生きた証”を残したいと強く思うこと

 

だと思う(他にもあるかも、でも上手く表現できない)。

 

 

 

 

最後に、ワークショップを行なったお寺では、定期的に”キャンサーナイト”なるイベントを行なっているという。癌患者(とりわけ女性が多いそう)が、数百人くらい集まるほどの規模だとか。どんな内容かについては言及されなかったものの、お坊さんが仰った言葉が心に突き刺さった。

 

 

「彼らの多くは、毎朝目覚めるとこう思うんですって。『ああ、今日も生きている。』」

 

 

 

ここ1ヶ月くらい、(目覚めが悪いことが続いたため)「朝、何を考えたら・思ったら1番ワクワクして目覚められるだろう」とふと思ったことから転じて、「今本当にやりたいことは何か」「(あくまで指標として)卒業するまで/卒業したらどうなりたいか」「世間の目や家族のこと、学校のこと、何も気にしなくていいなら何をするのか」という問いを永遠と自分の中で繰り返してきたのだが、もっと大事な、大切な、根本的なことが抜け落ちていた気がする。

 

 

ベッドから起き上がれるのは、自分の足で不自由なく立て歩けるのは、生きているから・生かされているから。

何かを実現したいと思うことは、自分の生きた証を残すことであり、産み育ててくれた人への感謝と恩返しであり、それをまた誰かに届け紡ぎたいから。

 

 

今日、1121日は、私の中の私が死んだ日であり、生まれた記念すべき日と(自分の中で)なった。「人は失ってから大切さに気付く」とよく聞く言葉だが、今日失ったものがあると同時に、得たものもある。ということで、愛と希望と感謝の気持ちに包まれ、穏やかな想いのまま今日は寝ようと思う。

 

明日はきっと、幸せな気持ちでベッドから飛び起きるかもしれない、と思いながら(ちなみに言うと、部屋が狭すぎてベッドじゃなくて布団使ってるんだけどね)。

 

落ち込みすぎて嫌いになりかけていた自分のことが、また少し好きになった。

 

 

 

終わり